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ミラノ スカラ座

さて、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世のガレッリアをドゥオーモと反対方向に抜けると、そこには世界的に有名なオペラの殿堂であるスカラ座があります。

劇場が建設されたのは、1778年。ヴェルディの「オテロ」や「ファルスタフ」、プッチーニの「蝶々夫人」「トゥーランドット」などが初演された場所としても知られています。

指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニが1898年よりこの地でタクトを振るようになってから、ここは世界的に重要な音楽の殿堂になりました。

近年では、クラウディオ•アバドの後任として1986年に音楽監督に着いたリッカルド•ムーティが2005年に退任するまで約20年間、スカラ座を盛り上げました。

世界的に有名な場所だけあって、観光客が写真を撮っていますね。

このスカラ座の前をスカラ広場というのですが、ここにはレオナルド・ダ・ビンチの像が立っています。

僕がミラノに立ち寄った目的はもうひとつ。

このスカラ座でのバレエ「ジぜル」の鑑賞です。

写真の中に反射して、僕が写りこんでいますね(笑)。

夜までまだ時間があります。

それまで、美術館でも回ることにしましょうか。

 


ミラノ、モンテ・ナポレオーネ

最後の晩餐の余韻にひたりながら、初めて来たミラノの街を散策します。

有名なヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリアです。

このガレリアを通り抜けると、ドゥオーモ前に出るのです。

ドゥオーモ広場には人がたくさん集まっています。

広場にはいわゆるパフォーマーもたくさんいましたね。

ドゥオーモの中にも入りました。

さらに、ドゥオーモの屋上にも上がれるのです。僕は裏手から階段で上りました。

素晴らしい眺望。

遠くにアルプスの山々が見えるのです。

屋上に到着しました。

ミラノの中心であるドゥオーモ広場もよく見渡せます。

こちらはミラノの高級商店街であるモンテ・ナポレオーネ通りです。

高級ブランドのフラッグシップ店が並ぶところ。

僕はあまり買い物に興味がないのですが、見物方々歩いてみました。

この通りには、車の植木鉢のモニュメントがあって、ブティックよりもこちらに気を取られてしまいましたよ(笑)。

 


ウィトルウィウス的人体図

さて、「最後の晩餐」を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチは、医学とも非常に大きな関わりを持っていました。

ダ・ヴィンチが人体を描く上で解剖学に興味を持ち、30体以上の解剖に実際に立ち会い、多くのデッサンを残した事はよく知られていますよね。

世界で初めて子宮と胎児をつなぐ「胎盤」のデッサンを描いたのはダ・ヴィンチだと言われています。

有名なものとして、古代ローマ時代の建築家であるウィトルウィウスの著作を元に、ダ・ヴィンチが描いたこのデッサン。

写真はWikipediaからお借りしましたが、教科書や書籍などで誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

ちなみに原本は、ヴェネチアのアカデミア美術館に保管されているのだそうです。

この図は、人が手を広げた時は正方形に内接し(身長と手を広げた長さはほぼ一定である)、足を広げた時は臍(へそ)を中心とした真円に内接する事を表したもの。

正方形は物質的な存在を象徴し、真円は精神的な存在を象徴するが、それらの図形と人体を関連づけたいと描かれたものだという説があります。

このウィトルウィウス的人体図は、現在の病院においては医療に関わる職業と関連づけられている場合が多く、アメリカやドイツなどでは、この図が医療の専門技術のシンボルになっています。

いずれにしても、この「ウィトルウィウス的人体図」はほぼ完璧な人体比率を表していて、普遍的に共感を得るのでしょう。

現在でも様々なところで使用されていますよね。

ちなみに今回滞在した、イタリアの1ユーロ硬貨にも採用されていましたよ。

 


ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」

1495年から1497年にかけて描かれた「最後の晩餐」は、当時主流であったフレスコ画の画法でなく、テンペラ画の画法で描かれています。

テンペラ画法は、絵具が乾けばすぐに塗り重ねる事ができて、修正がしやすいので描き手にとっては有利な反面、当然傷みやすい。

この作品は、レオナルド・ダ・ヴィンチ生存中からすでに彼の作品の中で最も優れたものに違いないと評判でした。

けれど作成から20年も経たない内に早くも劣化を始めたと当時の記録にあるそうです。

これまでも、この絵に対し修繕作業は大きなもので5回も行われているそうです。1977年から1999年には、大規模な洗浄修復作業が行われました。

そう、絵画「最後の晩餐」を見るのに事前予約が必要なのも、すべてはこの「痛みやすさ」に由来しているのです。

絵の保存状態を保つため、という理由で会場は入場制限がかけられています。

「室内の二酸化炭素を減らすために」

という理由で、1回1組最大25人、15分の入替制で絵を公開しているのです。

それならば、単に換気をすれば良いのでは?とも思いましたが、まあ、それはさておき(笑)。

1時間に100人。これが長い日だと1日9時間公開されますので、1日900人がこの絵を見ることができる、ということになります。

その限られた枠に対して世界中から観光客が来るわけですから、当然プレミアムもつきますし、最低でも予約が必要というわけですね。

世界的ベストセラーになったダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」によってこの「最後の晩餐」は知名度がさらに上がり、世界中から人が殺到する状態に。

実際会場に入るときは、こんな自動扉の前で、カメラ付きで監視されながらグループで順番を待ちます。

最後の晩餐、本物を前にすると、近くから見るときと、遠くから見るときとでは、印象ががらっと変わるのです。

近くから見るときはそれぞれの人物の細かい描写が気になりますが、遠くから見ると、視点が変わるんですよ。

遠近法により、絵に描かれたすべての直線がイエスの頭部に集約し、

「この中に一人、私を裏切るものがいる。」

とイエスが発言したその瞬間に、描かれているすべての人物の意識がイエスに向かった

その瞬間のシーンが、まるでその場にいたかのようにわかるのです。

考えてみれば、横一直線に並ぶテーブルで食事をするのは不自然ですし、この構図も含めてすべてダ・ヴィンチがその頭脳で構築していったということになりますよね。

僕は、正直ダ・ヴィンチの作品の中では最後の晩餐よりも好きなものが個人的にはありますし、日本から現地の何倍もの価格でチケットを購入してしまっている人がいることを見聞きしたり、入場制限の意味についてなど、科学者としても一個人としてもこの仕組みには首を傾げたくなる部分もあるのですが(笑)、この構図については実際に見て

うーん、すごい

と感動しましたよ。

 


ドゥオーモ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

早朝に目が覚めます。

散歩がてら街を歩いていくと、15分ぐらいでミラノの中心部につきます。

ゴシック建築の傑作といわれるドゥオーモが見えてきました。

ドゥオーモは、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂、そして今年訪問したロンドンのセントポール大聖堂に次ぐ世界3番目の広さをもつ聖堂だと聞きました。

今回、学会が開催されるフィレンツェに入る前にミラノで一日滞在できる日を作りました。

ミラノでどうしても見たいものがふたつあったのです。

ひとつは、世界遺産 レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」。

通常、世界遺産は建築物などの不動産に対してのみ与えられ、絵画には与えられないらしいのです。ただ、この絵は聖堂の壁に描かれているため、その教会とともに世界遺産に認定されたのだそうです。

日本からチケットを予約していったので、予約時間の9時ちょうどにサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に向かいます。

ドゥオーモからは歩くとちょっと距離があります。

しばらくすると教会が見えてきましたよ。

そしてこちらがファサード。

いよいよこの横の事務所に行って、チケットを受け取ります。

 


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