■ 夢だったのか、現実だったのか──曖昧な記憶って、なんなんでしょうね?
ふとした瞬間に、こう思ったことありませんか?
「これ、前にも体験したような気がする」
「この道、見たことある気がするけど…行ったことあったかな?」
それとも──「あれって夢だったのか、それとも本当にあったことだったのか…」
そんな、はっきりしないのに、なぜかリアルな感覚。
それっていったい、なんなんでしょうね?
■ 脳って案外、記憶にいいかげんなんです
記憶って、ビデオみたいに録画されてると思いがちなんですけど、実はそうじゃないんですよね。
毎回呼び出すたびに、ちょっとずつ変わったり、別の何かと混ざったりしてるんです。
だから、夢と現実が混ざってしまうことだって、よくある話なんです。
■ 夢がリアルに感じるのって、感情のせいかもしれません
夢の中って、ストーリーはめちゃくちゃなのに、感じたことは妙にリアルだったりしませんか?
怒ったり、泣いたり、誰かを抱きしめたり──
そういう感情って、記憶に強く残るんですよね。
だから、あとで思い返しても「夢だったはずなのに、現実のことみたいに感じてしまう」。
これって、たぶん自然なことなんです。
■ デジャブ──なんで初めてなのに“知ってる気”がするんだろう?
「ここ、来たことある気がする」っていう既視感(デジャブ)、あれも不思議ですよね。
でもたぶん、過去に見た似たような景色や感覚と、今の体験が重なってるんです。記憶の一部が「ちょっと前に出すぎちゃった」みたいな、そんなズレ。
だからって、それが間違いってわけじゃない。
むしろ、「知っている」という感覚が、あなたの内側に確かにあるということなんじゃないかなと思います。
■ 現実か夢か──区別しなくても、いいのかもしれない
仏教の考え方では、夢も現実も、「どちらも仮の姿」にすぎない、なんて言われたりします。
“あったこと”よりも、“感じたこと”のほうが大事。
そう思えば、夢か現実かなんて、こだわらなくていいことのような気がしてきませんか?
■ 体だって、ちゃんと記憶してる
香りとか、触れられたときの感触とか──
そういう感覚って、記憶としてちゃんと残ってるんですよね。頭で忘れても、体が覚えてることって、たしかにあります。
■ 詩のように、曖昧さを抱きしめる
記憶がはっきりしないとき、無理に答えを出さなくてもいいと思うんです。
それよりも、詩のように、曖昧なまま受け止めてみる。
まだ見ぬ街角に、懐かしさを覚えた午後。
夢か、記憶か──答えは出なかったけど、
でも、たしかに心が動いた。
それで、充分なんですよね。
「夢だったのか、現実だったのか」
その問いに、正解はないかもしれません。
我思う故に我あり
心が何かを感じたということだけは、確かにあったという事ですね。

