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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:科学

科学、エビデンスを手放してはいけない理由

科学はSNSに負けたように見える
——それでも、エビデンスを手放してはいけない理由——

SNSを眺めていると、
科学はいつも負けているように見える。

「危険です!」
「これで治る!」
「医者は教えてくれない最新療法!」

どれも短く、強く、感情を揺さぶる。
一方で、科学の言葉は遅く、長く、慎重だ。

だから錯覚する。
——科学は時代遅れになったのではないか、と。

だが、それは事実ではない。

★科学は「勝つため」に作られていない

まず大前提として、
科学はSNSで勝つために存在していない。

科学が大切にしているのは、
• 再現できるか
• 他でも同じ結果が出るか
• 偶然ではないか
• 条件が変わっても成り立つか

つまり、個人の感動より、社会全体の安全だ。

この姿勢は、
どうしても言葉を鈍くする。

「必ず効く」と言えない。
「副作用はない」と言えない。
「全員に同じ結果」とも言えない。

それは弱さではなく、
責任を引き受けている証拠だ。

★治療法で煽るのも、恐怖で煽るのも、同じ構造です。

違うのは符号だけ。
片方は「希望」、もう片方は「不安」。
どちらも、人間の脳が最も強く反応するスイッチを押している。

★ナイスショットは「売りやすい」

ゴルフで言えば、
• 100打のうち99打は平凡
• 1打だけ、完璧なショットが出る

SNSが切り取るのは、
必ずその1打だ。
• この治療で治った
• この方法で人生が変わった
• これを知らないと危険

全体像も、
スコアカードも、
再現性も、
すべて省略される。

残るのは、
気持ちよく信じられる一瞬だけ。

★恐怖も、希望も「思考を省略させる」

恐怖は言う。

「考えるな、避けろ」

希望は言う。

「考えるな、信じろ」

方向は逆だが、
脳に起きていることは同じだ。
• 比較しない
• 条件を見ない
• 確率を考えない

だから、
恐怖で煽る話も、
新しい治療法も、
SNSでは同じ速度で広がる。

★「全打を記録する」のは、誰の役割か

ゴルフで本当に上達する人は、
ナイスショットに酔わない。
• フェアウェイキープ率
• パーオン率
• ミスの傾向

全打を見て、自分を知る。

医療と科学も同じだ。
• 効いた人
• 効かなかった人
• 副作用が出た人

これらすべてを含めて、
初めて「使っていい治療」になる。

だがSNSは、
全打を記録するのに向いていない。

★煽りが成立する理由は「責任がない」から

ナイスショットを語る人は、
次のラウンドの責任を取らない。

治療法を煽る投稿も同じだ。
• 効かなかった人は語らない
• 悪化した人は可視化されない
• 投稿は静かに流れて消える

だが、
身体は消えない。

ここに、
科学が絶対に手を抜けない理由がある。

★科学は「煽らない」ことを選んでいる

科学が地味なのは、
能力不足ではない。
• ナイスショットだけを語らない
• 恐怖だけで人を動かさない
• 希望を軽々しく売らない

この制約を、
自らに課している。

だから遅い。
だから静かだ。

だがそれは、
人の人生を賭け金にしない
という態度でもある。

★結論

治療法で煽るのも、
恐怖で煽るのも、
人間の脳の性質を
あまりにもよく知っているから成立する。

ナイスショットは、
記憶に残る。
だがスコアは、
積み上げで決まる。

健康も、人生も同じだ。

本当に信じるべきなのは、
一回の劇的な成功でも、
一瞬の恐怖でもない。

全体を見たときに、
再現性があり、
誰をも守れる選択かどうか。

ゴルフラウンドの帰り道、クラブケースを担ぎながら、ふとそんなことを思う。

科学とは、
ナイスショットを否定する学問ではない。

それに賭けていいかどうかを、
静かに問い直すためのスコアカードなのだ。

 

It Can Look Like Science Has Lost to Social Media

— Yet Why We Must Never Let Go of Evidence —

Scrolling through social media,
it often feels as though science is always losing.

“Dangerous!”
“This cures it!”
“The latest treatment doctors won’t tell you about!”

They are short, forceful, and emotionally charged.
By contrast, the language of science is slow, long, and cautious.

And so an illusion arises:
— perhaps science has become outdated.

But that is not the truth.


★ Science Was Never Designed to “Win”

First and foremost,
science does not exist to win on social media.

What science values is:

  • Can it be reproduced?

  • Do others obtain the same results?

  • Could it be due to chance?

  • Does it still hold under different conditions?

In other words,
it prioritizes societal safety over individual excitement.

This stance inevitably dulls its language.

It cannot say, “This will definitely work.”
It cannot say, “There are no side effects.”
It cannot say, “Everyone will get the same result.”

This is not weakness.
It is evidence of taking responsibility.


★ Hyping Treatments and Hyping Fear Share the Same Structure

The difference is only the sign.
One sells hope, the other sells anxiety.
Both press the same neural switches — the ones the human brain reacts to most strongly.


★ A Perfect Shot Is Easy to Sell

In golf:

  • Out of 100 shots, 99 are ordinary

  • Only one is truly perfect

Social media always cuts out that one shot.

  • “This treatment cured me.”

  • “This method changed my life.”

  • “You’re in danger if you don’t know this.”

The full picture,
the scorecard,
the reproducibility —
all of it disappears.

What remains is a single moment that feels good to believe.


★ Fear and Hope Both Short-Circuit Thinking

Fear says:

“Don’t think — avoid.”

Hope says:

“Don’t think — believe.”

The directions differ,
but what happens in the brain is the same:

  • No comparison

  • No examination of conditions

  • No consideration of probabilities

That is why fear-based narratives and “new miracle treatments” spread at the same speed on social media.


★ Whose Job Is It to Record All the Shots?

Golfers who truly improve do not get drunk on perfect shots.

They look at:

  • Fairway hit rates

  • Greens in regulation

  • Patterns of mistakes

They examine every shot to understand themselves.

Medicine and science are the same.

  • Those for whom it worked

  • Those for whom it didn’t

  • Those who experienced side effects

Only when all of these are included
does a treatment become one that can be responsibly used.

Social media, however,
is not suited to recording every shot.


★ Hype Works Because There Is No Responsibility

Those who boast about a perfect shot
take no responsibility for the next round.

Posts hyping treatments work the same way.

  • Those it didn’t help remain silent

  • Those who worsened are not made visible

  • The post quietly scrolls away and disappears

But the body does not disappear.

Here lies the reason science can never afford to cut corners.


★ Science Chooses Not to Hype

Science is not dull because it lacks ability.

  • It does not speak only of perfect shots

  • It does not move people with fear alone

  • It does not sell hope lightly

These are self-imposed constraints.

That is why it is slow.
That is why it is quiet.

And that is also a stance:
not gambling with people’s lives.


★ Conclusion

Both treatment hype and fear-based messaging work
because they exploit the properties of the human brain with precision.

A perfect shot is memorable.
But a score is decided by accumulation.

Health, and life itself, are the same.

What we should truly trust
is not a single dramatic success,
nor a fleeting moment of fear.

It is whether, when viewed as a whole,
the choice is reproducible
and capable of protecting everyone.

Walking home after a round of golf,
carrying my club case,
this thought suddenly comes to mind.

Science is not a discipline that denies perfect shots.

It is a scorecard —
one that quietly asks
whether that shot is worth betting your life on.

 


科学少年の帰還

「科学少年の帰還 ― 観察者から発信者へ」

理科が好きだった少年時代の僕。

学研の『科学と学習』を卒業したあと、自宅には創刊0号から『Newton』が揃っていた。学研の付録の万華鏡や顕微鏡を覗き込みながら、光の粒子や磁力線の不思議に夢中になっていたあの頃。今思えば、その瞬間こそが僕の科学への旅の始まりだったのかもしれない。

「Newton」創刊号(1981年5月号)は、まさに日本におけるサイエンス・リテラシーの象徴とも言える存在だった。(Newton, 1981, Vol.1, No.0)。

最近、ふと書店で手に取った新刊のNewton別冊を読んでいて、気付いた。

――ああ、今の自分の知識のほうが明らかに新しいのだ。

少年のころ憧れた「Newton」や「科学の先生」の世界が、いつの間にか自分の背後に来ている。今は知識を「得る側」ではなく「発信する側」に立っているのだ。

レーザー医学会の国際学会でも、登壇者と「セイハロー」はするものの、話の内容はすでに自分の研究範囲内。もはや“知識をもらいに行く場”ではなく、“仲間に挨拶をしに行く場”になってしまった。

科学を学ぶ少年は、いつしか科学を創る大人になった。
そして、科学の書を読む読者は、いまその書を書く側にいる。

時の流れは不思議だ。あの頃ページの隅に書き込んでいた「光とは何か」という問いを、いま臨床の現場で、レーザー治療や再生医療という形で、日々追い続けているのだから。

 


“Return of the Science Boy — From Observer to Messenger”

As a boy, I was fascinated by science.
After graduating from Science and Study—the educational magazine published by Gakken—our home library soon filled with every issue of Newton, starting from its very first, the “Issue Zero.” I would peer through the kaleidoscopes and microscopes that came as Gakken’s science-kit supplements, utterly absorbed by the mysteries of light particles and magnetic lines. Looking back now, I realize—that was the very beginning of my journey into science.

The inaugural issue of Newton (May 1981) was, in many ways, a symbol of scientific literacy in Japan itself. (Newton, 1981, Vol.1, No.0)

Recently, while browsing at a bookstore, I happened to pick up a new Newton special edition.

As I turned the pages, a quiet realization came over me.

—Ah, my own knowledge has already surpassed what’s written here.

The world of Newton and the “science teachers” I once admired as a child now stands behind me. I am no longer merely a receiver of knowledge—I have become one who sends it out into the world.

At international congresses on laser medicine, I greet speakers with a casual “say hello,” yet their presentations now fall within the scope of my own research. These gatherings are no longer places where I go to receive knowledge, but rather where I go to greet my peers.

The boy who once studied science has grown into an adult who now creates it.
The reader who once turned the pages of scientific books now stands among those who write them.

Time flows in mysterious ways.
The question I once scribbled in the corner of a page—“What is light?”—is the very question I still pursue today, in the clinical field, through laser therapy and regenerative medicine.

 

 


【新国際学会周遊記──麻雀の脳科学的効能】

新国際学会周遊記──麻雀の脳科学的効能

最近麻雀やる人が減りましたよね。

昨年も30名ぐらいの友人の集まりがあって、麻雀やらないか誘ったのですが、何とできた組み合わせは一卓のみ。時代の流れなんでしょうか。

僕自身、学生時代にさんざん徹夜で麻雀を打った記憶があります。

あの緊張感、時間の流れ方、そして「読み勝った瞬間の高揚感」。医師になってから改めて思うのは、麻雀は単なる娯楽ではなく「脳を総動員する高度な認知活動」だということです。

ちょっとタバコを吸う人と一緒にいるのはしんどかったですが(笑)、近年の脳科学研究も、その効能を裏づけています。麻雀は単なる娯楽ではなく、「脳を総合的に鍛えるツール」であり、同時に「経営の縮図」でもあるのです。

1. 前頭前野──決断力と戦略的思考
麻雀は一局の中で何百回もの選択を迫られます。どの牌を切るか、リスクを取るか引くか。まさに意思決定の連続です。
この繰り返しは前頭前野を刺激し、戦略性と柔軟な思考力を養います。経営者が日々直面する「投資すべきか撤退すべきか」の判断と酷似しているのです。

2. 海馬──記憶力と学習の強化
相手の捨て牌を覚え、自分の手牌の可能性を計算し、場全体を俯瞰する。これは強烈なワーキングメモリの訓練であり、海馬を活性化させます。
また、失敗の経験を次局に活かす学習プロセスも自然と組み込まれています。これが繰り返されることで、「情報を素早く取り込み、応用する力」が培われます。新しい市場や事業に挑戦する際の学習力に直結するのです。

3. 扁桃体と報酬系──リスクと快感のバランス
リーチをかけた瞬間の緊張、一発ツモの高揚感。脳内ではドーパミンが放出され、報酬系が活発に働きます。
一方、危険牌を切る局面では扁桃体が反応し、不安や恐怖を感じる。つまり麻雀は、快感とリスクという両極の感情を絶えずコントロールする訓練場なのです。
これはビジネスでリスクを取りながらも冷静さを失わず、成功を手にしたときの快感を次のモチベーションにつなげる力と重なります。

4. 社会脳──共感と交渉力
麻雀は個人戦でありながら、相手との駆け引きが不可欠です。表情や仕草を読み取り、相手の意図を探りながら自分の手を進める。ここでは側頭葉や島皮質に関わる「社会脳」がフル稼働します。
これはそのままビジネスの交渉術に通じます。相手の真意を見抜き、タイミングよく譲歩し、時には強気に出る。その駆け引きの巧さは、学生時代の卓上で培われていたのかもしれません。

5. 長期戦を戦う集中力と忍耐
麻雀の一半荘は数時間に及びます。その間、勝っても油断せず、負けても崩れない平常心を維持しなければなりません。

これは市場変動や突発的なトラブルに直面しても冷静に判断し続ける「胆力」を磨く格好の場です。勝負勘や忍耐力が養われるのです。

結語──麻雀は「脳のジム」であり「経営の教室」

前頭前野で決断を下し、海馬で記憶を積み重ね、扁桃体でリスクを感じ、報酬系で快感を得る。さらに社会脳で相手を読む。

麻雀はまさに脳を全方位的に鍛えるジムであり、経営の予行演習でもあります。

だからこそ、学生時代に麻雀に熱中した人が、のちに経営者として成功するケースが多いのは偶然ではありません。
卓上の小さな世界で「不確実性を生き抜く術」を早くから体験していた──その経験が社会での成功につながっているのです。

 


【新国際学会周遊記──森林浴は科学と宗教を架橋する】

新国際学会周遊記──森林浴は科学と宗教を架橋する

人はなぜ森に入ると癒されるのか。
この問いは、医学や心理学の領域を超え、宗教哲学にまで広がる奥行きを持っています。

1980年代、日本の林野庁が「森林浴」という言葉を提唱して以降、科学的研究が進められました。単なる文学的表現ではなく、実際に自律神経や免疫系に影響を及ぼすことが証明されているのです。

◆科学が語る森の効能
東京の喧騒の中で生きる私たちは、どうしても交感神経が優位になりがちです。常に「戦うか、逃げるか」の緊張状態。ところが、森に一歩足を踏み入れると、鳥の声、風に揺れる枝葉、木漏れ日の光が五感を優しく刺激し、副交感神経が優位に切り替わります。心拍数は落ち、呼吸は深く、血圧も安定してくるのです。
さらに注目すべきは、木々が発散する「フィトンチッド」と呼ばれる揮発性物質。これが自然殺傷細胞(NK細胞)を活性化させ、免疫力を高めることが知られています。面白いことに、その効果は数日間持続するという報告もあります。
脳科学の研究でも同様です。森林風景を見ると脳波のα波が増加し、前頭前野の過剰な活動が抑えられる。抑うつや不安を軽減する方向に働くのです。

◆仏教が語る森の癒し
しかし、科学の言葉だけでは語り尽くせない側面もあります。森は「無常」と「空」の象徴です。
常に変化し続ける木々の葉、二度と同じではない鳥の鳴き声。その移ろいを目にすることは、まさに「今ここ」に心を留める正念の実践そのもの。
仏典には、ブッダが菩提樹の下で悟りを開いた逸話があります。森は単なる背景ではなく、人間存在を揺り動かす「場」であったのです。私たちが森に癒されるのは、身体が休まるだけでなく、人間本来の「自然との一体感」を取り戻すからなのかもしれません。

◆森林浴は架橋する
こうして眺めると、森林浴は単なる健康法を超えています。
副交感神経の鎮静効果、免疫の強化、脳のリラクゼーション──これは科学の言葉。
一方で、無常を感じ、空を悟り、正念を体感する──これは宗教の言葉。
二つの言語が重なり合うところに、私たちが「森に癒される理由」が浮かび上がってきます。

結びに
森は科学と宗教を架橋する場所です。
そこに足を踏み入れるとき、私たちは血圧や心拍を整えながら、同時に存在の根源に触れる。
医学者にとっても僧侶にとっても、そして一人の人間にとっても、これほど豊かな「癒しの場」は他にないのかもしれません。

 


【新国際学会周遊記──皆既月食の文化と科学】

赤い月が現れるとき、人類は科学と神話を同時に見てきた

【新国際学会周遊記──皆既月食の文化と科学】

昨晩は皆既月食でしたね。遅い時間だったので、寝てしまいましたが、写真は僕が撮った2022年11月8日の月食のものです。ちょうどこの日は天王星も食を迎えた時で、完全に月食となった時、天王星が小さく見えますね。
月食は日食と違って目を覆う必要はなく、世界中どこからでも静かに観察できる。だからこそ古代から現代まで、人々はその赤い月を畏れ、そして詩的に眺め続けてきました。

◆科学が語る皆既月食

皆既月食とは、太陽・地球・月が一直線に並び、月が地球の影の「本影」に完全に入るときに起こります。光を失った月は一見すると消えてしまうように見えますが、実際には地球の大気を経由して届いた赤い光に照らされ、暗赤色に輝きます。いわゆる「ブラッドムーン」です。
この現象は、地球の大気が光を屈折させ、青い短波長の光が散乱して失われ、赤い長波長の光だけが月に届くために起こります。

◆神話と伝説が語る皆既月食
古代メソポタミアでは月食は王の死の前兆とされ、宮廷占星術師は食の周期を「サロス周期」(約18年11日)として計算しました。
中国では「天狗が月を食う」と語られ、日本でも平安期の陰陽師が吉凶を占う材料としました。赤い月は恐怖の象徴であると同時に、神話的な想像力をかき立てる存在だったのです。

◆現代科学が引き出す新たな意義
現代の研究では、皆既月食を「地球の大気観測」に応用しています。月食時に月に届く光は、地球大気を通過したフィルターを経た光です。そのスペクトルを分析すると、二酸化炭素やオゾン層の状態を測定できることが分かってきました。
さらに、この手法は系外惑星の大気解析のモデルケースともなっており、赤い月は「地球の縮図」を映す実験室でもあるのです。

◆皆既月食の観察という体験
肉眼でも十分に楽しめますが、双眼鏡で眺めると月面のクレーターが赤く染まる様子が見事です。写真に収めるなら三脚を用い、長時間露光で幻想的な月を切り取るのがおすすめです。SNSの時代には、同じ赤い月を見上げた人々が、国境を越えてリアルタイムに感動を共有できるようになりました。

◆結び──科学と神話のあいだ
赤い月が夜空に現れるとき、私たちは科学的な知識をもってその理屈を理解しながらも、同時に古代人と同じ「畏れ」と「詩情」を体験しているのではないでしょうか。
皆既月食は、単なる天体現象ではなく、科学と神話を同時に生きる人間の精神史そのものを映し出す鏡なのです。
次回の月食は2026年3月3日だそうですよ。


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