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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

【新国際学会周遊記──「延命」の果てに問われる、“治すこと”の本質 ─『ブラック・ジャック』と『火の鳥』に学ぶ、医療と生命の境界線─】

新国際学会周遊記──「延命」の果てに問われる、“治すこと”の本質
─『ブラック・ジャック』と『火の鳥』に学ぶ、医療と生命の境界線─

「医療の未来って、どこまでが“正解”なんでしょうか?」
ある時、そう問われて、僕は少し言葉に詰まった。

なぜなら、それは僕自身がずっと問い続けている命題でもあるからだ。

実は、クリニックFの書庫には手塚治虫の漫画全集──全400巻が所蔵されている。
いつか読もうと決めて買ったものの、未だに読み切れていないが、医療者として、そして物語を愛する者として、彼の世界観に何度も立ち返ってきた。

◆ 手塚治虫という“医師”

手塚治虫。
彼は単なる漫画家ではなかった。大阪大学医学部を卒業し、医師免許を持つ医学士である。だが彼は、病院の聴診器ではなく、“物語という聴診器”で人間社会と命に向き合い続けた。
『ブラック・ジャック』や『火の鳥』には、医学的知見のみならず、倫理と哲学が静かに、しかし力強く織り込まれている。

◆ 「全部治せる時代」が来る──だが、それは福音か?

手塚は、未来の医療の到達点をこう語っていた。
「癌が治るようになる。人工心臓、臓器移植…なんでも治せてしまうようになる」
言ってみれば手塚が医師として生きていた時代は、解剖学、自律神経、生理学などの学問が進み、麻酔器、高度な手術室、CTスキャンやMRIといった医療機器がどんどん完成した。
ある意味、全ての医師が万能感に満ちた幸せな時代だったと言えるかもしれない。

だが、ひとつだけ治せないものがある。──「脳」だ。
人格、記憶、感情。その不可逆性こそが、人間の“生”を規定する。

そして、彼は問いかける。
「助ければ人が増え、人類は不幸になる。
だが、助けなければ医者としての使命に反する。
いったい、どこまで助けるべきなのか?」

それは、まさに現代の私たちが直面する課題──
終末期医療、高齢社会、そして延命治療をめぐる倫理の最前線である。

◆ 「いのち」は“長さ”ではない

手塚がブラック・ジャックを通して描いた世界の果てには、『火の鳥』というもうひとつの宇宙が広がっている。
永遠の命を求め、火の鳥の血を渇望する人々。
だが、火の鳥は静かにこう語る。
「あなたはこれだけ生きれば十分でしょう?
一夏しか生きられないカゲロウでさえ、精一杯生きているのです」
そこには仏教の「無常観」が脈打っている。

そして、現代医学が重視するQOL(Quality of Life:生活の質)という概念とも響き合う。

◆ 医師とは“生かす者”ではなく、“生を支える者”

医療が進歩し、「死」が遠ざかっていくとき、
私たちはいよいよ「命とは何か」を再定義しなければならない。
それは、単に寿命を延ばすことではない。
限られた命を、いかに豊かに、意味あるものとして支えるかという問いである。
たとえば、もしも150歳まで生きることができたとして、
そのすべての時間が充実し、納得に満ちていたのなら──
それは「永遠の命」と何ら変わらないのかもしれない。
そう、手塚は静かに、だが深く、そう語っていた。

◆ 結語:治す医療から、見守る医療へ

僕自身、最先端のレーザー医療の現場に立ち続けてきた。
同時に、仏教の思想や生命倫理にも関心を寄せてきた。
その両方の視点をもって手塚治虫の作品に触れるとき、
彼が“未来の医療”に託した警鐘と願いが、深く心に染み入る。
万能に見える「治す医療」が進化を続ける今こそ、
「見守る医療」の意味と重さを、私たちは見つめ直す必要がある。
限られた命を、どう輝かせるか──
それこそが、医療者として、そして人間としての“物語の本質”なのではないだろうか。


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