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“簡単”という言葉の重さ

ことばの使い方は難しいですね。特に感情が入る場合、同じ言葉を使用しても、まったく違った効果をもたらす場合があります。さらに言葉を受ける場合も特にこちらに精神的な余裕がなく、切羽詰っている場合は尚更、通常とは違った解釈をしてしまう場合もあります。現代社会では人間関係の希薄化が起こり、個人個人の価値観の多様化が起こっています。つまり、“あ”といったらすぐにそれを察して“うん”と言ってくれるような、言葉のいらないコミュニケーションが日本人同士でも、さらには家族同士でも難しくなりつつあるのです。

僕は手術室にかかわる医師として10年間、小児の心臓の手術や、脳を開ける手術、交通事故による大きな怪我の手術まで、ありとあらゆる手術に立ち会ってきました。自分がオペに立ち会っているときは、手術には技術的にやさしいものと難しいものの両方があることを実際体験してきたので、患者さんに手術の話をするときは、それが技術的にやさしいものであった場合、「簡単な手術だから大丈夫ですよ」と必ず言うようにしていました。そう言うことで、手術という非日常の、健康であれば体験する必要のないものに対峙しなければならない患者さんに、少しでも安心感を与えてあげたかったからです。

けれど、その自分の考え方が間違っていたことに気付いた事件があります。僕の子供が生まれて3週間後に鼠径ヘルニアの手術をしなければいけなくなったときのことです。主治医が僕に向かって「簡単な手術だから大丈夫ですよ」と、あの頃の僕と同じ顔、同じ口調で言ったのです。医師という自分の職業を脇に置き、手術に立ち会う患者、そして家族の側に立った僕にとって、その言葉は実に腹立たしいものでした。確かにヘルニアの手術は難しいものではありません。理性的にはもちろんわかります。けれど、命よりも大切な子供の生命を預けなくてはならないときに、「簡単」という言葉の不謹慎さをはじめて感情のレベルで理解したのです。それからは、患者さんの気持ちを患者さんの目線に立って考えたうえで言葉を使おうと努力しています。あの時自分が味わった気持ちを忘れないように・・・。

医は仁術。治療は実際に手をあてる手当て。そういった時代には人と人とのかかわりがもっとも大切なものでした。現在の診療医はコンピューターに向き合って患者さんを見ずに診察し、血液検査、超音波エコー、CT、MRIなどの多くの医療機器を介在させて患者さんを診る事になります。医療の面でも技術的は進歩ばかりが目につきますが、本当は、人とのかかわり方が現在、もっとも見直されなければならない時なのかもしれませんね。

 


事故にあった子供を救う方法


以前に都立の看護学校で救急医療の講義を担当していたことがあります。100人ぐらいの看護婦さんの卵を教えるのは楽しかったですが、彼らの集中力も限度があります。いくつか興味を惹く話をした覚えがあるのですが、医学的にもとても受けた話をします。

以前に脳が使用することの出来る栄養素は、脂肪、炭水化物、糖のうち、最後の糖だけだというコラムを書きました。糖を分解するためには必ず酸素が必要です。1つのグルコースが分解されると、ATPというエネルギーが38個出来るのです。組織で酸素が足りなくなると、グルコースは乳酸という物質に変化して、ATPを2つ作ります。乳酸は、体のをだるくします。何だか体がだるく、疲れが取れないというのも乳酸の代謝が悪いことの影響のことが多いのです。余談ですが、いわゆるにんにく注射と呼ばれる、ビタミンB1を注射する療法は、ビタミンB1が、乳酸を消費して、通常の回路に戻すことを手伝うのです。だから疲れを感じるときにはにんにく注射をすると良いのです。しかし、脳は他の組織のような便利な対応はありません。大人で脳に酸素が行かない状態が4分以上続くと、間違いなく脳が障害を受けます。これは酸素が脳に供給されないと、エネルギーが使えずに、脳が維持できないからなのです。

ところで、表記のように子供が長時間、水没してしまったのに、何の後遺症もなく生き返ったと言うニュースを耳にすることがあります。6歳以下の子供の場合は、脳の構造がちょっと違うのです。脳死の概念も6歳以下の子供は例外とされています。胎生期には、子供は低酸素の状態で生活しています。お母さん静脈血で生活しているので当たり前です。そのときには、大人と違った特殊なヘモグロビンを使用しているのです。正常産の新生児黄疸というのがありますが、それは、この低酸素でも対応できる特殊なヘモグロビンが破壊され(最終的にビリルビンと言う黄色い物質に代謝されます。汚いですが、ウンチの黄色はビリルビンです。)、大人のヘモグロビンが作られる過程なのです。そしてもう1つ、この胎生期には脳が、糖だけでなく、脂肪(ケトン体)を利用できるリザーブシステムを持っています。ケトン体の分解には酸素が必要ありません。6歳以下の子供の場合、急激に酸素が低下し、体温が低下したときには、このリザーブ回路が働き、酸素のない状態で脳を保護する遺伝子が発動する場合があるのです。

言葉は変かもしれないけれど、実は動脈を切った様な特殊な場合を除いて、人間を数分以内に殺すのは実は案外と難しいのです。たとえば、腸が飛び出てしまったような外傷を受けた場合でも、出血が少なければ、約3時間は生きられます。心筋梗塞でも30分以内に(つまり救急車が来ることを待てれば)生きられます。つまり救急車を先に呼ばなければならないのです。太い動脈を切ってしまった場合は押えるしかありませんが、唯一、救急車を呼ぶ前に我々が処置をしなければならないのは、呼吸系のトラブルです。それこそ4分以内に勝負が決まってしまいます。子供さんがコインを詰まらせたり、お年寄りがお餅を詰まらせたりしたときが、もっとも危険です。そんなときは、まず、掃除機を使って吸い出してください。それで命が救われる場合があります。覚えていてくださいね。

ちなみにこの記事を読んで、僕の幼稚園と小学校の時の同級生、そして東大の研修医でも一緒だった耳鼻科医師がコメントをくれました。鋭い指摘だったのでそのまま引用します。

”小児の異物で、掃除機を使うのは正解ですが、
最初にスウィッチを入れておくと、舌にくっついてしまうので、
なるべく奥に入れてから、スウィッチを入れましょうと講習会では言っています。”

なるほど、小さなことですが、気が動転しているときには重要な情報でよね。皆さん覚えていて下さい。これで1つでも命が救われると良いのですが。(笑)


代謝とダイエット

人間の消費カロリーを決定しているのは、基礎代謝量だと言われています。「基礎代謝量」とは、一体なにを指すかご存知ですか? 人間が日常生活を送るためには一定の体温を維持することが必要となります。そのために必要なエネルギー量・・・簡単に言ってしまうと息を吸って吐くためだけにどの程度エネルギーを消費するか、それがこの「基礎代謝量」と言うことですね。基礎代謝量の消費カロリーは全消費カロリーの8割をしめていると言われています。運動や、食事制限でコントロールできるのはわずか2割のことなのです。

基礎代謝量の多くの部分を占めているのは、その人の筋肉量だと言われています。低体温の人は、概して筋肉が少ない。ですから絶食することによるダイエットは、筋肉量を減らしてしまうので、基礎代謝量が落ちてしまうのです。以前と同じ量を食べてしまうと、リバウンドしやすいと言うことになります。

ダイエットは、結局最後は食べる量を減らすしか方法がないといわれてきました。運動して消費できるカロリーは、思ったよりも少量なのです。3km走ったところで、お茶碗一杯分のご飯のカロリーも消費できません。その程度のカロリーなら、運動後のビール一杯でもう補われてしまうのです。

絶食する、もしくは食事を減らす方向でダイエットしてしまうと確かに痩せることは出来ます。食事がないと、まず生体は、体内の筋肉を分解します。筋肉が分解されるとケトン体という物質が増えるため、頭痛が起こり、いらいらして、さらに糖分が少なくなるために、脳の回転効率が落ちます。パソコンの前に一日中座っていたり、会議が多いような頭脳労働に携わる人にとっては、仕事をするという日常生活の基本をまっとうすることさえ困難になります。

現在、アンチエイジング・ドクターズで、僕はクリニック経営企画を担当しています。去年は紀尾井町に日本で初めての本格的なメディカル・スパを作りましたが、今年は銀座に「メタボリック症候群」をテーマとしたクリニックを作ろうと思っています。ここでは、画期的なITシステム主導の医学的ダイエットが大きな柱となる予定です。知的労働者でも、日常の生活を送りながら安全にダイエットが実現し、かつ、ダイエット期間中の物理的心理的ストレスを心身両方からサポートしていきたいと思っています。ダイエット以外にもアトピー性皮膚炎ほか生活習慣病に対し、各種検査システムを導入し、おもしろいアプローチで挑もうと思っていますので、乞ご期待。オープンは2006年4月の予定です。


フィンランド EADV

フィンランドのサーリセルカで行われたヨーロッパ皮膚泌尿器科学会(EADV)に参加してきました。もともと極圏にあるこの街の人口は300人程度なのに、今回この学会のためにおそらく2000人近い皮膚科医が世界中からこの街に集まったのです。大変な賑わいとなりました。街にある3つの大きなホテルをすべて借り切った規模で行われましたが、そのホテル同士が遠くて、寒い中、防寒服を着込んでの移動にくたくたになってしまいました。

サーリセルカについたのは夜中でした。おそらくマイナス20度近かったのでは?? ホテルの会場の氷でEADVと彫刻がある前で写真を撮りました。ちなみに、この写真をとった後、いきなりデジタルカメラの液晶が割れてしまいました。写真は撮れるのですが、液晶で写真を確認できないのです。困ったなあ・・と感じるとともに、毎日いかに文明の利器に頼っているかを思い知らされました。

学会の行われたホテルの1つである、Hotel Riekonlinnaです。僕が泊まったビレッジから雪深い中、15分ぐらい歩いて到着します。学会が始まる8時前ですが、まだ日が出ていません。寒かったです。

今回のEADVは、ドイツ人の医師による、炭酸ガスレーザーによるフェイシャルのリサーフェシング(肌の入れ替え)の演題が面白かったです。炭酸ガスレーザーによる肌の入れ替えは、欧米人のように色が白い人には非常に有効です。アジア人は色素沈着してしまうので、CO2リサーフェシングは出来ませんでした。アジア人にも使用できる肌の入れ替え機器であるフラクセルは画期的ですね。こちらではまだ使用する医師はあまりいないようです。

もうひとつ興味深かったのは、ボトックスによるフェイスリフト法です。技術を学んできましたので、ご興味のある方はクリニックまでご連絡下さい。アメリカ人は最先端の新医療機器の開発に興味を持ちますが、ヨーロッパ人は、自分の持つ道具を工夫して診療をする人が多く、そういった点では工夫上手です。

同じ皮膚科の学会でもEADVはアメリカのAADとはずいぶん違った雰囲気です。アメリカの学会はレーザー会社などが前面に広告を出していて、もっと商業的な雰囲気なのです。展示場の中です。このような展示がなされます。純粋に医師が症例を検討するという感じで、雰囲気はヨーロッパのほうが好きです。言葉のほうも英語が共通言語なのですが、お互い第二言語なので、表現が易しく、むしろ聞き取りやすいですね。

会場から出てみると温度計がありました。昼なのにマイナス13度です。

一日目はがんばってスーツで過ごしたのですが、ギブアップして二日目からはスキーウェアで参加しました。学会参加証がスキーウェアの上で浮いていますね。(笑)ホテルの前ですが、ノルディックのスキーに興じる観光客などがいて、スキー場では無いのですが、さながらゲレンデです。

樹氷というのでしょうか。写真では見えないのですが、ダイアモンドダストが輝いて、とても綺麗でした。

フィンランドはヨーロッパでは珍しい、アジア系民族の国です。たしか、ハンガリーのマジャール人と並んで、アジア系のフィン人の国家であると高校の時の地理の先生に習いました。

フィンランドといえばシベリウスの”フィンランディア“という交響詩が有名ですね。フィンランドは長い間スウェーデン内の自治領でした。そしてロシア軍の侵略によってロシア領となります。ロシア統治下でもしばらく自治は行われていたのですが、ニコライ1世、2世の時代になるとフィンランドの自治権は奪われました。そのためフィンランド内では愛国運動が起こり、その一環として歴史劇「いにしえからの情景」という劇が講演されるようになります。その中の交響詩として、フィンランディアという曲が作られたのです。

フィンランドはトルコと並んで、実はかなりの日本贔屓の国です。日露戦争で東郷平八郎が日本海海戦でバルチック艦隊を撃破したことがきっかけとなり、ロシア革命に乗じて1917年に独立をはたしています。今回の滞在では確認できませんでしたが、トーゴービールというビールが存在するという話しを聞いたことがあります。交響詩フィンランディアは、やはりカラヤンが上手いですかね。彼は5回録音していて、64年と84年。初期と最後の演奏が良いと思います。

日本でもその美しい旋律からコンサートに取り上げられることが多いです。ちょっと趣味の世界に走っちゃいました。

ヘルシンキの上空です。拡大していただければわかると思いますが、照明が光る夜景がとても綺麗でした。

 


グレン・グールド

ピアノのクラシック曲が好きで、多くのピアニストを聴いてきました。中でも特別お気に入りは、ディヌ・リパッティとグレン・グールドです。リパッティはステレオ録音がまったく残っていないので、その技巧の素晴らしさは想像つかないのですが、グレン・グールドは80年代まで健在だったこともあり、多くのCDや著作を残してくれています。

グールドの母は旧姓をグリーグといい、母方の曽祖父のいとこが高名なノルウェーの作曲家エドヴァルド・グリーグであったといいます。音楽家の血が流れているのですね。彼はかなりの変人で、演奏会に気に入ったピアノを持ち込ませるのは当たり前で、ピアノを弾くときのいすの高さにこだわって、いすの足を切らせてみたり、それで膝が邪魔になると、ピアノ自体を台をつけて持ち上げさせたり、ステージが始まる前に、儀式のように腕から先を温水につけたり、主催者にはいろいろな要求をしました。当時でもかなりの実績を持つピアニストであったにも関わらず、32歳の時に、ステージから一切身を引き、限られた人間としか接触しなくなります。その後は1982年に50歳で他界するその二日前まで演奏活動を行い、スタジオでのレコーディングに徹しました。

音色が美しいピアニストならば、アラウやルプー。音色が真実なるピアニストならリヒテルやペトリが挙げられるとおもいますが、グールドは、技巧が優れている点ではリパッティやホロビッツに匹敵しますが、音色をそぎ落とし、音楽の骨格をむき出しにしたような、なんともいえない音色でピアノを奏でるのです。いわばわざわざ反ピアノ的な演奏をして、ピアノにそぐわないような音色を偏愛するのです。グールドの研究家でもあるフランスの精神分析学者ミシェル・シュネデールは、グールドの音楽に対する姿勢は神を知るための行為であったと表現していたのを思い出します。確かにグールドの演奏は神秘的なところがあります。装飾を一切省いた、はっきりと区切りがある、点描的な演奏とでも言うべきでしょうか。

初めて彼を聴いたのは、バッハの『インヴェンションとシンフォニア』でした。なぜこんなにも難しく(哲学的に?)バッハを弾くのだろうと思いました。なんと言ったらよいのか、普通なら速い速度で弾かれる部分を半分以下のスピードで弾いたり、その逆をわざとやったりするのです。クラシックの場合、新規性を求めて演奏をすると、品位が失われてしまうこともありますが、彼は非常にうまく作曲家の意図を演奏の中で中和させているのです。

ゴールドベルク変奏曲も二回、録音していますが、聞き比べてみると、まったく曲が違って聴こえます。常に感性が変化しているのでしょう。平均律クラヴィーアも何百回も聴いたと思います。そうそう、平均律クラヴィーアで思い出すのはバグダットカフェという映画です。だいぶ前に観たのですが、なんの特徴も変哲もない、ある小太りのおばさんが寂れた街のカフェにやってきて、そのカフェをとても人気のカフェに変えてゆくのです。その映画のストーリーとはまったく関係のない挿入なのですが、ある黒人の男の子が、母親に怒られながら、バッハの平均律クラヴィーアを弾くのです。そう、アヴェマリアの歌詞もついている、ドミソドミソドミの曲です。最初は物凄く下手で、聴くのもつらいのですが、何回かこの子のシーンが挿入されるたびに腕が上達していきます。他にもストーリーと関係のない挿入があって、そのおばさんに好意を持つ絵描きのおじさんが、おばさんをモデルに絵を描き始めます。おばさんは最初は緊張した顔をしているのですが、シーンの挿入ごとに次第に心開いて、最後はヌードを描かせるまでになるのです。ストーリーは、ほとんどないのですが映像と音楽だけが鮮明に印象に残る、とても不思議な映画でした。

グールドはバッハを好んだため(おそらくバッハの対位法的精神が彼の相に合ったのでしょう。)あまりにバッハのイメージが強いのですが、ベートーヴェンやモーツアルトのピアノ協奏曲、ブラームスのピアノ曲も得意でした。コンサートは絶対に開かなかったのですが、ラジオ、テレビ出演の演奏も多かったため、多くの演奏が残っています。CDのジャケットでは彼の端正な顔が見られます。カナダのトロントには彼のお墓があります。僕も8年ぐらい前にトロントに行ったときに彼のお墓を探してみたのですが、残念ながら見つけられませんでした。いつか訪れてみたいと思います。


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