美しい書を書く人は、何が違うのか
ーパフォーマンス書道における即興性と創造性の脳科学ー
本日19時、半蔵門はゴルフ医科学研究所にて「響墨の会」。
書家・白石雪妃さんをお招きし、ソプラノ歌手とのコラボレーションによるパフォーマンス書道が開催されます。
ちょうどゴールデンウィーク前ということもあり、直前でキャンセルされる方も出てしまったのですが、
もし、奇跡的にご予定の空いている方がいらしたら、ぜひお越しください。
筆と音楽が響き合う、心が震えるような夜になるはずです。
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あらかじめ決められた文字を書くのではない。
その場の空気、音楽の流れ、観客の気配――
すべてを感じ取りながら、即興で文字を紡いでいるのです。
では、即興で美を生み出すとき、脳の中ではいったい何が起きているのでしょうか?
まずわかっているのは、即興性(improvisation)が求められる場面では、通常の作業時とは異なる脳領域が活性化するということ。
特に内側前頭前野(medial prefrontal cortex, mPFC)が中心となり、自己モニタリングを一時的に緩めることで、自由な発想が生まれやすくなるのです(Limb CJ, Braun AR. PLoS One. 2008;3(2):e1679)。
つまり、頭で「こう書くべきだ」と考えすぎるのではなく、
身体感覚と直感に任せて筆を動かす。
そこに創造性の源泉があるのです。
さらに、創造的な活動中は、デフォルト・モード・ネットワーク(default mode network, DMN)と呼ばれる脳のシステムが活性化することもわかっています(Beaty RE, et al. Neuropsychologia. 2015;79:92-110)。
DMNは、ぼんやりしているときや、自己を内省しているときに働くネットワークです。
通常、集中すべきタスクがあるときは抑制されるはずのこの回路が、即興の最中には逆に活発になる。
つまり、パフォーマンス書道においては
「集中していながら、内なる自由も手放していない」
という特殊な脳状態が作られていることになります。
また、即興性の研究では、報酬系(reward system)、特に腹側線条体(ventral striatum)が関与していることも示唆されています(Benedek M, et al. Neuroimage. 2014;88:125-133)。
これにより、即興中には小さな「達成感」が連続的に生まれ、さらに創造性が高まる、というポジティブなフィードバックループが生まれるのです。
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そんな雪妃さんの書を見ていて、僕がふと思ったこと。
彼女の書く一文字一文字は、単に形が整っているわけではない。
まるで生き物が呼吸しているかのように、そこに命が宿っているのです。
「美しい書を書ける人は、脳と体のどこが違うのだろう?」と。
調べてみると、脳科学的には、まず運動計画(motor planning)と感覚フィードバック(sensory feedback)の高度な統合が不可欠だということがわかりました。
実際、補足運動野(SMA)、小脳(cerebellum)、一次運動野(M1)といった運動制御に関わる脳領域が、
特に強く活動していることが報告されています(Masumoto K, et al. Brain Res. 2006;1109(1):122-131)。
さらに、文字を美しく配置するためには空間認知能力(visuospatial ability)も重要です。
これは頭頂葉(parietal lobe)、特に上頭頂小葉(superior parietal lobule)の働きと関係しており(Kravitz DJ, et al. Neuron. 2011;70(3):576-592)、
バランス感覚に優れた空間構成力が求められます。
そして特筆すべきは、書家たちが筆を運んでいるとき、脳波にアルファ波(α波)が優勢になるという事実。
α波は、リラックスしながら高い集中状態にあるときに現れる脳波であり、いわゆる「ゾーン(flow state)」のときに観測されるものです(Katahira K, et al. Front Psychol. 2018;9:3000)。
つまり、美しい書を書いているとき、彼らの脳はリラックスと集中という、相反するようでいて補い合う絶妙なバランスを保っているのです。
また、身体面でも特徴があります。
柔軟な手首、滑らかな肘と肩の運動、そして体幹の安定。
これらは単なる器用さを超え、全身を通した緻密な運動制御を意味します。
特に書道では「気を通す(ki wo toosu)」感覚が大切にされますが、これは科学的にも、交感神経と副交感神経のバランスが取れている状態、すなわち自律神経機能の調和と関連していると考えられています(Kimura K, et al. Auton Neurosci. 2013;177(2):190-194)。
まとめると、美しい書を書く人には、
高度に統合された運動・感覚システム
優れた空間認知能力
リラックスと集中の同時発生(アルファ波優位)
全身の微細な運動制御
安定した自律神経機能
が備わっているということになります。
時に、同じ遺伝子を持つ兄弟姉妹であっても、才能がある者とない者に分かれてしまうのは、こうした微細な積み重ねの違いなのかもしれません。
過酷な世界ではありますが、それだけに、美しく書かれた一文字一文字には、見る人の心を震わせる「何か」が宿るのでしょう。
書とは、脳と体と心の三位一体。
一字一字のなかに、目には見えない、無数の調和が隠れている。
だからこそ、私たちはそれを「美しい」と感じるのだと思うのです。