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真実は一つ、解釈は無限。 空とエビデンスのはざまで

真実は一つ、解釈は無限。

空とエビデンスのはざまで

連休後半、僕は広島県呉市にある両親の家を訪れている。
二人とも80歳を超え、心身にそれぞれの不安を抱えていることもあり、年に何度かは「実際に会って話す」時間を持つようにしている。
電話での声と、対面したときの表情や動作の微妙なニュアンスは、やはり違う。

そんな時、ふと――昔の記憶が蘇る。

1. 顕微鏡の中の「見えない真実」

医学生の頃、ミクロ解剖学(組織学)の講義で、全身の臓器を顕微鏡で観察し、スケッチを描くという課題があった。
教科書通りの構造が見えるプレパラートもあれば、重要な構造が切片に入っておらず“見えない”こともある。そんなとき、先輩のノートを見ながら“心眼”で描き加える必要があった。

――進級のためには「見えたこと」にしなければならない。

あれは真実だったのか?それとも方便だったのか?
科学の厳密さを志す者として、自問した記憶がある。

2. 事実はひとつ、意味は無数

たとえば、「今日、雨が降った」という事実。

この一つの出来事も、
農夫には「恵みの雨」
建設作業員には「作業の妨げ」
詩人には「涙に重なる情景」
子どもには「楽しい遊び場」
と、まったく異なる意味を与えられる。

雨は変わらない。だが、それに与えられる「解釈」は、立場や文脈によってまるで違う。

花もまた同じだ。
癒しであり、
花粉症の人には苦しみであり、
生態学者には受粉システムであり、
芸術家には構図であり色彩だ。

事実はひとつ。だが、それが何を意味するかは、人の数だけある。

3. 情報が「解釈」を加速させる時代

SNSやメディアの進化によって、それぞれが「自分の真実」を発信する事が出来る様になってきた。
つまり、僕たちは常に“誰かの解釈”を浴びている。

アルゴリズムは、僕たちが好む視点や信念を強化し、やがて世界を分断していく。それが“自分にとっての真実”と一致するかどうかは関係ない。
あまりに多くの解釈にさらされることで、
僕たちは「本来の事実」を見失い、あるいは「これこそが真実だ」と他者の声に耳を塞いでしまってはいないだろうか。

4. エビデンスの光と影

現代の医療や工学、さらには経済政策や環境保全までもが「エビデンスベース」で語られるようになった。「エビデンスがあるのか?」「統計的有意差は?」――こうした問いは、もはや常識となっている。

しかし、「エビデンス」とは何だろう?

一言でいえば、「再現性のある客観的事実」だ。ヒトに効いた薬が、別のヒトにも効く。工場で測定した値が、他の研究者にも同様に観察される。再現可能性と検証性がなければ、それは科学ではない。
しかし、2016年、Nature誌が発表した調査によれば、研究者の70%以上が「他人の研究を再現できなかった」と答えた。再現性の危機。科学が“信じられなくなる”瞬間だ。

さらに、観察する人間の「心眼」はしばしば曇る。

見たいデータだけを見る「確証バイアス」
思い込みで実験条件を操作する「無意識の介入」
そして学界の競争が生む「データ改ざん」や「論文不正」

それらはすべて、人間の限界が科学にもたらす歪みだ。

信じることと、疑うこと
それでも、科学を捨てるわけにはいかない。
なぜなら、科学だけが「自分の間違いを認める仕組み」を持っているからだ。

5. 「空」という視座──固定観念から自由になる

仏教における「空(くう)」の教えは、こうした問いに深い示唆を与えてくれる。
すべての存在は、固定された実体を持たず、関係性と条件によって変化する。
花も、人も、真理でさえも――単独では存在しえない。

科学は「共通項=真実」を抽出しようとし、
宗教や哲学は「意味や価値」を文脈から読み解こうとする。

このふたつを対立させるのではなく、
科学の厳密さと宗教のまなざしの両方を携える。

それこそが、現代を生きる僕たちに求められているのではないか。

結びに代えて

真実はひとつ。
けれども、それをどう見るかは、無限である。

そのことを忘れずに、僕たちは今日もまた、「見えているつもり」にならないよう、目を凝らして、耳を澄まして、生きていかなければならないのだ。


読書好きの僕が読書感想文が嫌いだった理由

読書が好きだった僕が、読書感想文だけは嫌いだった理由

小さい頃から、本を読むのが大好きでした。
物語の中に入り込んで、見たこともない世界を旅する感覚は、何よりの楽しみでした。

けれど、そんな私がどうしても好きになれなかった宿題が一つあります。
読書感想文です。

「自分の考えを言葉にする練習になる」
「読解力や要約力が身につく」
「自分の視点を育てられる」

そんな意見があることは、大人になった今ではよくわかります。

でも、子どもだった僕はただ、
「何を書いたらいいかわからない」
「気がつくとあらすじで終わってしまう」
という苦しさに直面していました。

今思えば、それは指導の仕方”の問題でもあったのではないかと感じます。

感想文には「型」があると知っていたら
最近になって、読書感想文にもテンプレート(型)があることを知りました。

たとえば、こんな順番で書くと、自然に文章が整います。

1. 本を選んだ理由
2. 印象に残った場面や登場人物
3. そこから感じたこと・考えたこと
4. 自分の生活とつながった気づき
5. これからどうしたいか、どう変わるか

もしこの「地図」を最初から渡されていたら、
あんなに悩まなくて済んだのかもしれません。

「兎の眼」との出会い
そういえば思い出したことがあります。

灰谷健次郎の『兎の眼』という作品を読んだとき、ある一節がとても印象に残りました。
その中に、良い作文と悪い作文の違いについて、こんな言葉がありました。

×「したこと」
〇「見たこと」
〇「感じたこと」
〇「思ったこと」
〇「いったこと」
〇「きいたこと」
〇「そのほか」

「“したこと”ばかりを書くと、作文はつまらなくなる。大切なのは、そこにある“気づき”や“心の動き”を書くことだ」と。

この言葉に、まるで目が覚めたような感覚を覚えました。
それは、感想文を書くことの本当の意味に気づかせてくれた一瞬でした。

苦手だったけれど、意味はあった
振り返れば、読書感想文はただの宿題ではなく、
“自分の中の言葉”を見つける旅だったのかもしれません。

たとえ苦手でも、それは「自分の感じたことに、自分の言葉で触れてみる」練習だった。

あの頃はまだ、その入り口にすら立てていなかったのだと思います。

だからこそ、次の世代にはこう伝えたい。

「感想文が苦手でもいい。でも、自分の心の中に湧いた何かを、少しでも言葉にしてみて」と。


「電子にスピンと反粒子」 人類史上 最重要方程式ベスト10 その10

「電子にスピンと反粒子」

人類史上 最重要方程式ベスト10 その10

ディラック方程式は相対論的量子力学を完成させ、反物質を理論予言した。

なぜディラックは方程式を作らなければならなかったのか?
ある意味、これは量子力学と相対性理論という“二つの巨人”を仲直りさせる試みでした。

1920年代初頭、量子力学はシュレーディンガーやハイゼンベルクによって急速に発展しました。しかし、それは非相対論的な理論──つまり、光速よりはるかに遅く動く粒子(たとえば低速の電子)しか扱えなかったのです。
一方、アインシュタインの特殊相対性理論は、光速近くで運動する物体の時間や空間の変化を見事に描き出しました。
問題は、この2つの理論が融合していなかったこと。
ポール・ディラックは、これらを矛盾なく統合する方程式を探し続けました。そして1928年、ついに彼は発見したのです。

この方程式の何が“革命”だったのか?

1. スピンという謎の性質が自然に現れる
それまでスピンは「後付けの性質」でした。ところがこの方程式では、スピン1/2の性質が自動的に出てくるのです。

2. 陽電子の存在を予言
この方程式は、エネルギーがマイナスになる解も含みます。これは理論的には「反粒子の存在」を意味しました。
4年後、カール・アンダーソンが陽電子(ポジトロン)を実験的に発見し、ディラックの理論は大正解だったと証明されました。

3. 量子電磁力学(QED)への道
ディラック方程式に電磁場を組み込むと、「量子電磁力学」の礎が築かれます。これは現在、標準模型(Standard Model)の基本構造にもなっています。
現代に生きるディラック方程式

ディラック方程式は今でも、以下のような多くの現象に関わっています。

半導体物理(グラフェンなどでは電子がディラック粒子として振る舞う)
スピントロニクス
トポロジカル絶縁体
量子コンピューターの基礎理論

さらにはブラックホールの量子場理論にまで登場します

SFの世界では『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの作中では「反物質」や「波動エネルギー」がしばしばエネルギー源・兵器技術の根幹として描かれました。
波動エンジンや波動砲の理論的背景に「反物質反応」や「次元エネルギー変換」が暗示されていましたよね。あの話もディラックの方程式が無いと存在しなかったわけです。

おわりに──方程式は、ただの数式ではない

ディラック方程式の魅力は、「正しさ」や「計算結果の一致」だけではありません。それは、美しさと必然性を持った方程式でした。
ポール・ディラック自身、こんな言葉を残しています:

「数学の美しさに導かれて理論を築くなら、たとえそれが現実と一時的に一致しなくとも、やがて真理に至るだろう」
そして彼は、本当にその通りの道を切り開いたのです。


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