先週の記者会見。良い記事が上がってました!

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藤本幸弘オフィシャルブログ
頂き物です!美味しい。



【命懸けの知──『チ。』と中世科学の真実】
「ねえ、君は地球が動いているって信じてる?」
今の時代なら、誰もが「当たり前だよ」と笑うかもしれない。でもね、かつてそれを信じることが、命を賭ける行為だった時代があったんだ。科学を証明することが、宗教に逆らうことと同義だったあの頃。週末に魚豊さんの漫画『チ。-地球の運動について-』を読みましたが、まさにその時代を舞台にしているのです。
物語は、地動説を信じる少年の瞳から始まる。そして、その“知”はまるでリレーのバトンのように、時代と人を超えて次々と手渡されていく。命を懸けて、たしかに。

◉ 知を語るには、覚悟が必要だった
15世紀のヨーロッパ。宗教が学問を支配していた時代に、「地球は太陽の周りを回っている」と唱えることは、ただの学説では済まなかった。異端審問、拷問、焚書、火刑──それが“真理”を口にする者に与えられた運命だった。
ガリレオ・ガリレイを知ってる?
「それでも地球は回っている」と呟いた科学者だ。彼は1633年、異端とされて有罪になった。けれど、その一言は、400年たった今も私たちの胸を打つ。
そしてジョルダーノ・ブルーノ。彼は宇宙が無限だと語り、星に生命がある可能性まで示唆した。その結果、1600年、ローマで火刑に処された。彼の骨は、真理を語ったというだけで灰になったんだ。
◉ 知を守ることは、信仰に逆らうことだった
当時のヨーロッパでは、アリストテレスの自然観とキリスト教の神学が融合した「スコラ哲学」が全ての基準だった。地球は宇宙の中心で、動かない──それが“正しい”とされた。
だから、地動説は「神の秩序を乱す冒涜」だったんだ。つまり科学とは、当時の価値観では“犯罪”にも等しかった。
◉ 『チ。』が教えてくれたこと
『チ。』がすごいのは、地動説を“証明”する話じゃなくて、それを“信じ続ける人たち”の物語だからなんだ。登場人物たちは、皆バラバラの時代と立場にいる。でも彼らの中には共通して「知への執念」がある。
何よりも印象的なのは、「誰かが信じた知識を、誰かが受け取り、次へ渡していく」という構造。それはまるで、火が灯り続けるたいまつのようだった。
僕らはその火の、ずっと先にいるんだ。
【知はつながる──『チ。』が描いた“リレー”という形】
『チ。』という作品には、珍しい構造があります。
ひとりの主人公が最後まで世界を救うわけではない。
むしろ、主人公は次々と“退場”していく。
けれどそのたびに、「地球は動いている」という小さな火種が、別の誰かへと託されていく。
これがとても切なくて、でも力強いんです。
たとえば第1巻。神童と呼ばれた少年ラファウが、自らの未来も命も投げ出してまで託した“数式”。それは偶然ではなく、意志を持って渡されたものだった。
「これはまだ、完成ではない。だけど、誰かが続きをやるべきだ」
──そんな思いが、次の登場人物に届いていく。
この“バトン”の描き方こそ、『チ。』の根幹だと僕は思うのです。
◉ 知識は、完成しない。だからこそ尊い
歴史を振り返ると、「完成された学問」など存在しません。
ニュートンが万有引力を説いたときも、その理論を“神の証明”とした人がいた。
アインシュタインが相対性理論を発表したときも、既存の力学体系を否定する“異端”だと見る向きもあった。
でも、科学というものは、常に“つづき”を誰かが書いていくものです。
『チ。』の登場人物たちは、みなその「つづき」に希望を託して命を繋いでいく。
この構造は、まさに科学の本質を物語形式で体現しているように思えました。
◉ 「なぜ知りたいのか?」という問いが、何よりも強い
『チ。』の中で何度も描かれるのが、「知ることは危険だ」と警告する大人たちの存在です。
「知らなければ、幸せに生きられる」
「異端になっても何も得られない」
でも、それでも人は、どうしても“知りたい”んです。
「この星は、どんな動きをしているのか?」
「自分の目に映るこの空は、誰のためにあるのか?」
この問いに対して、自分で考え、調べ、導こうとする。それこそが科学の始まりであり、人間の意志のもっとも根源的な表れだと僕は思います。
◉ 『チ。』は歴史ではない、けれど真実だ
念のために言えば、『チ。』に出てくる登場人物はフィクションです。
ラファウも、オクジーも、ブルーノのような人物も、史実には登場しません。
けれど──彼らが象徴しているのは、名もなき無数の“知の継承者”たちなんです。
記録にも残らず、石にも刻まれず、それでも誰かに火を託し、そして散っていった人々。
そうした存在の集積が、いま僕たちの知識の礎をつくっている。
だからこそ、『チ。』は史実ではなくても、真実を描いているのだと、強く感じました。
◉ 未来へ──君も、誰かの“つづき”かもしれない
さて、ここまで読んでくださったあなたに、最後に問いたいのです。
もしあなたの手元に、まだ完成していないノートがあったとして、
それが誰かの命を賭けて残した“知”だったら──
あなたは、その続きを書きますか?
もしかしたら、私たち一人ひとりも、誰かが託したバトンを手にして生きているのかもしれません。
知をつなぐという行為に、名前も栄光もいらない。
必要なのは、「真理を見たい」と願う目と、「諦めない」と決めた手だけです。
真理とは、時に剣より鋭く、火よりも熱い。
それでも、人はそれを求めずにはいられない。
【知はつながる──『チ。』が描いた“リレー”という形】
『チ。』という作品には、珍しい構造があります。
ひとりの主人公が最後まで世界を救うわけではない。
むしろ、主人公は次々と“退場”していく。
けれどそのたびに、「地球は動いている」という小さな火種が、別の誰かへと託されていく。
これがとても切なくて、でも力強いんです。
たとえば第1巻。神童と呼ばれた少年ラファウが、自らの未来も命も投げ出してまで託した“数式”。それは偶然ではなく、意志を持って渡されたものだった。
「これはまだ、完成ではない。だけど、誰かが続きをやるべきだ」
──そんな思いが、次の登場人物に届いていく。
この“バトン”の描き方こそ、『チ。』の根幹だと僕は思うのです。
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◉ 知識は、完成しない。だからこそ尊い
歴史を振り返ると、「完成された学問」など存在しません。
ニュートンが万有引力を説いたときも、その理論を“神の証明”とした人がいた。
アインシュタインが相対性理論を発表したときも、既存の力学体系を否定する“異端”だと見る向きもあった。
でも、科学というものは、常に“つづき”を誰かが書いていくものです。
『チ。』の登場人物たちは、みなその「つづき」に希望を託して命を繋いでいく。
この構造は、まさに科学の本質を物語形式で体現しているように思えました。
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◉ 「なぜ知りたいのか?」という問いが、何よりも強い
『チ。』の中で何度も描かれるのが、「知ることは危険だ」と警告する大人たちの存在です。
「知らなければ、幸せに生きられる」
「異端になっても何も得られない」
でも、それでも人は、どうしても“知りたい”んです。
「この星は、どんな動きをしているのか?」
「自分の目に映るこの空は、誰のためにあるのか?」
この問いに対して、自分で考え、調べ、導こうとする。それこそが科学の始まりであり、人間の意志のもっとも根源的な表れだと僕は思います。
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◉ 『チ。』は歴史ではない、けれど真実だ
念のために言えば、『チ。』に出てくる登場人物はフィクションです。
ラファウも、オクジーも、ブルーノのような人物も、史実には登場しません。
けれど──彼らが象徴しているのは、名もなき無数の“知の継承者”たちなんです。
記録にも残らず、石にも刻まれず、それでも誰かに火を託し、そして散っていった人々。
そうした存在の集積が、いま僕たちの知識の礎をつくっている。
だからこそ、『チ。』は史実ではなくても、真実を描いているのだと、強く感じました。
⸻
◉ 未来へ──君も、誰かの“つづき”かもしれない
さて、ここまで読んでくださったあなたに、最後に問いたいのです。
もしあなたの手元に、まだ完成していないノートがあったとして、
それが誰かの命を賭けて残した“知”だったら──
あなたは、その続きを書きますか?
もしかしたら、私たち一人ひとりも、誰かが託したバトンを手にして生きているのかもしれません。
知をつなぐという行為に、名前も栄光もいらない。
必要なのは、「真理を見たい」と願う目と、「諦めない」と決めた手だけです。
そんな人間の姿を、僕は『チ。』という作品の中に見た。
科学に真理を目指す方に
おすすめします。
国民にマイナンバーを強要するなら、ネットを通して直接民主政治が出来るはず。
もう議員は要らないんじゃないかなあ。

昨日はゴルフ医科学研究所にて河村喜史先生の作陶の会でした。
前半、後半それぞれ7名づつ計14名。
写真を載せられない方がいらっしゃったので、今回は全員写真は無しです。
僕も無心で集中して作陶に臨みましたが、土いじりと幾何学模様を彫刻する過程が楽しかった!
前回作った作陶作品も帰ってきましたので、早速使っていこうと思います。





北鎌倉の窯の火入れは11月29日なので、今回の作品の完成は12月でしょうか。
次回のゴルフ医科研での作陶は2026年1月18日(日曜日)で考えています。
河村先生の個展が日本橋高島屋2026年2月4日から7日まであるそうです。