【なぜ他人の成功に苛立つのか──実業の世界に生きる者として】
超整理法。高校生の時に、父に読んだらいいともらった野口悠紀雄さんの本で、いい影響を受けたので覚えていますが、最近野口さんがXにこんな内容の事を投稿していた。
日本がまだ「地道に働くことが美徳」とされていた時代は、人々の心も穏やかでした。
けれど、80年代のバブル経済や、株や仮想通貨での“一発逆転”が身近に語られるようになると、「頑張っても報われないのに、なんであいつだけ?」という思いが胸をよぎるようになります。
その頃から、日本人の意識が変わってしまったと。
なるほど。すごく腑に落ちました。
誰かが得していると思うと、人は平穏でいられなくなる
これは心理学でいう相対的剥奪感(relative deprivation)という現象。
自分の生活が何か減ったわけでもないのに、“他人の得”を目にすることで、なぜか“自分の損”を感じてしまう。
「どうしてあいつだけ得をしているんだ?」
そんな感情がふと湧き上がってくる瞬間がある。
もちろん、自分の生活が何か奪われたわけじゃない。
けれど、なぜか平穏でいられない──そんな心のざわつきを、誰しも一度は覚えたことがあるのではないだろうか。

◆ 不労所得への苛立ち──「努力のない報酬」が人の心を揺らす
たとえば、SNSでたまたま目にした知人が、高級ホテルのスイートルームでシャンパンを傾けている。「権利収入で悠々自適」なんて言葉を添えて。
そんな投稿を見たとき、多くの人が感じるのは羨望ではなく、苛立ちだ。
不労所得による他人の富。それは、「自分が努力していないから」ではなく、むしろ毎日必死に働いているからこそ、余計に腹が立つのだ。
◆ 実業で成功する人は、静かに、休まず努力している
僕が出会ってきた、本当に成功している実業家たちは、どれだけ生活が豊かになっても「怠ける」という選択をしない。
むしろ、豊かさを支えているのが“考え続ける脳”であり、“止まらない脚”であることを自覚している。
・誰にも気づかれないような改善を夜な夜な積み上げ
・トラブルが起きれば深夜でも動き、
・休日も頭の片隅で次の手を考えている
それはもう、「努力」というよりも、「生き方そのもの」と言っていい。
◆ SNS時代の「成功演出」と、実業の地熱
SNSで流れる“成功者”の姿は、派手な一瞬ばかりだ。
しかし、実業の世界では、本当の成功は“地熱”のように静かに滲み出るものであり、誰かに見せつけるために行っているわけではない。
見せびらかされる“収入”や“自由な時間”の裏に、「何か本質的な対価を払ったのか?」と疑いたくなるようなものが増えれば、努力している人たちがざわつくのは、むしろ健全な感覚だと思う。
◆ 仏教的視点:「他と比べる心」から離れることの意味
仏教では、他人との比較によって心が乱れることを「慢(まん)」と呼ぶ。
それは優越感でも劣等感でもなく、比較そのものが苦の種となるという考え方だ。
釈迦はこう説いたという。
「他人の果報を見て心を乱すな。自らの業(カルマ)を耕せ」
これは、まさに実業の人間が守るべき美学だと思う。
他人の成功を羨むより、自分の畑を耕し続けることの方が、よほど確実で、よほど尊い。
◆ 成功者は、努力している姿を見せない
だから、見せびらかす人間の成功ほど疑ってかかったほうがいい。真に力のある実業家は、“静かに積み上げる”ことに価値を置き、見せびらかすことに価値を感じない。
たとえば、朝の開店前にスタッフより先に現場に立ち、夜の帳簿に一人頭を悩ませる経営者は多い。
けれど、その姿をSNSに上げることは、まずない。
それこそが“実業”という営みの本質だ。
◆ 今日の問いかけ
誰かが“楽して得している”ように見えたとき、あなたはどうするか?
見るべきはその人ではなく、その感情に揺れた自分自身の足場なのかもしれない。






