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十戒ふたたび──中森明菜という“音の現象”

十戒ふたたび──中森明菜という“音の現象”

ゴルフの行き帰りの車でアップルミュージックでAdo版「十戒」に出会って、「さすがに上手いよね」と何気なく話したら、スタッフから「でもあれ、明菜の『十戒』とは全く別物ですよ」と言われた。

──なるほど。じゃあ、久しぶりに本家も聴いてみるか。

そう思い立ち、ゴルフの行き帰りの車で中森明菜の「十戒(1984)」を聴いたのです。

いやー。驚いた。

こんなにも凄かったのか、中森明菜は。

僕は中学生の頃から洋楽、特にクラシックに傾倒していたこともあり、いわゆる“歌謡曲”からは距離を置いていた。

しかし今になって聴いてみると、その声は決して懐かしさだけでなく、音響的にも極めて完成度が高い「音の現象」として響いてくるのだ。

【1】高域倍音のコントロールと“翳り”の演出

まず注目すべきは、高域成分の微細な抑制だ。

明菜の声には、透明感よりも「翳り(かげり)」がある。まるで曇りガラス越しの光のように、直接的でないのに深く心に残る。

これはクラシック音楽で言えば、イングリッシュホルンやヴィオラの音色に近い。「影のある美しさ」とも言えるもので、音の明暗(chiaroscuro)を自在に操れる歌手だけが辿り着ける領域だ。

【2】不安定さが感情の“生”を伝える

歌声におけるピッチのゆらぎ──とりわけ明菜の歌唱では、ノンビブラートから極浅いビブラートへと移行するわずかなニュアンスがある。

クラシックで言えばテンポ・ルバート(rubato)に近く、音楽的時間のゆがみが“生きた感情”のリアリティを生むのだ。

この不安定さこそが、AIによる完璧な音程補正では再現できない、「人の声」としての本質を証明している。

【3】声に含まれる“空間情報”とリスナーの心理距離

明菜の声は、鼻腔共鳴(nasal resonance)と胸腔共鳴(chest resonance)が極めてバランス良く調和している。

これにより、声が単なる“音”ではなく、“空間的存在”として聴こえてくる。

心理音響の観点から言えば、これは「パーソナルスペースに踏み込む声」──つまり、リスナーの心に物理的な“近さ”を感じさせる声だ。

【4】声が時代の空気を帯びていた

1980年代、日本の大衆音楽は“社会の気圧”のようなものだった。中森明菜の声は、ただの歌声ではなく、時代の感情圧をそのまま封じ込めた「空気の化石」として今も生きている。

希望でも絶望でもない。

ただ“そこにある感情”として存在していた明菜の声は、あらかじめ意味づけされた感情を与えるのではなく、聴き手自身の心象を呼び起こす「共鳴装置」だったのだ。

【5】声は“心を映す鏡”である

中森明菜の声は、磨き抜かれた宝石というよりは、誰かの涙が染み込んだガラス玉のようだ。その儚さゆえに、今聴いてもなお、心が“揺さぶられる”。

昭和という時代に生き、声を通してそれを内包した存在。

「中森明菜」は、単なる歌手ではなく、時代と情動が結晶した“声の現象”だったのかもしれない。


三菱商事ライフサイエンスの林常務と

三菱商事ライフサイエンスの林常務とは、前職の子会社のVC60社長時代にフラーレンの研究で世界の学会を回り英文論文も発表しました。

10年以上の時を経てNMNの立証業務で再度関わる様になるとは思いませんでしたが、縁とは不思議なものですね。


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