タイアンチエイジング学会のゲストスピーカー一覧です。
僕も日本代表で講演です。

藤本幸弘オフィシャルブログ
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日本語と英語──思考のスタイルは言語で変わるのか?
海外の学会に長く出ていると、ふと気づく瞬間があります。自分が英語で思考していることに。
母国語は日本語でも、長時間英語環境にいると、自然と脳の回路が切り替わっていく感覚がある。
僕自身はネイティブのバイリンガルではありませんが、日本語で考えるときと英語で考えるときでは、思考のリズムが変わり、場合によっては「人格」すら変わっているのではないか?と感じることがあります。
「どちらの言語で考えると、より深く物事を考えられるのか?」
この問いは意外に多くの人が抱える疑問です。特にバイリンガルや海外経験の長い人には、実感があるかもしれません。
今回はこのテーマを、認知科学の最新知見をもとに、論理的思考・創造性・記憶力の三つの軸から整理してみたいと思います。

1. 論理的思考──文法が導く「考え方」の違い
まず大きな違いは語順です。
英語は「主語+動詞+目的語」(SVO型)。
日本語は「主語+目的語+動詞」(SOV型)。
この違いは、情報処理の仕方そのものに影響を与えます。
英語では最初に主語と動詞が登場し、話し手が何をしようとしているかを途中で予測しながら処理する習慣が身につきます。
一方、日本語は最後まで聞かないと何が起こるか確定せず、情報を頭の中に溜めたまま、全体を一気に把握する力が求められます。
面白いのは、外国語で考えると感情の影響を受けにくくなり、より論理的・合理的に判断できるという「外国語効果」と呼ばれる現象もあること。
母語では感情が先行しやすい倫理問題も、第二言語で考えると冷静な判断ができるという報告もあります。
2. 創造性──発想力に“言語切り替え”は効くのか?
次に創造性の話です。
言語の順番そのものより、重要なのは「何ヶ国語を自在に操れるか?」です。
バイリンガルは日常的に言語を切り替えることで、脳内の柔軟性が鍛えられています。認知的柔軟性と呼ばれる能力です。これがアイデアの発想力や問題解決力を高める土台になります。
たとえば、第二言語の習得が進んだ中国の学生が、創造性テストでも高得点を取ったという研究があります。
もちろん、例外も存在します。
「言語的な創造性」は母語のほうが得意、「非言語的な発想力」は第二言語でも高まる、という結果も報告されています。
文化背景によっても多少違いがあるものの、総じていえば複数言語を操ることで、創造的な発想が促進されるのは確かな傾向のようです。
3. 記憶と理解──“漢字”が支える思考の深さ
記憶や理解の分野では、文字体系の違いが鍵になります。
日本語は漢字(表意文字)と仮名(表音文字)のミックス。
英語はアルファベットという純粋な表音文字です。
この違いが記憶のしやすさに影響します。
漢字は視覚的に意味が含まれているため、「見ただけで意味がわかる」記憶の引き金になります。たとえば「森」という字を見れば、木がたくさん集まった景色が一瞬で浮かぶ。
一方、英語の“forest”では一旦音を介して意味を辿る必要があります。
実験では、同じ文章でも漢字かな交じりの方が記憶定着が良く、全てひらがなにすると記憶しづらくなることが分かっています。英語を読むときは特に「音から意味への変換」が大きな負荷になるため、第二言語ではより疲れるという報告もあります。
総まとめ──どちらが「深い」のか?
ここでの結論は意外にシンプルです。
「深さ」に白黒はつけられない。
日本語は文脈全体を掴む力が育ちやすく、漢字のような意味直結型の記憶術も備えています。
英語は予測しながら処理するスピード感があり、外国語として使うことで感情を切り離し、論理思考が研ぎ澄まされる側面があります。
バイリンガルや多言語話者は、こうした特徴を場面ごとに使い分けることで、思考の幅がさらに広がります。
【新国際学会周遊記 ─世界に出てしまった天才が帰ってきたいと思う国にして欲しい】
参議院選の政見放送を見るたびに思う。この二十年、日本は子どもたちの世代に投資する気力を失い、目の前の生活を回すことで精一杯の国になってしまったのではないか、と。未来の天才に余力を割く文化が、目に見えて失われつつある。
私は世界の学会を巡りながら、ずっと考えてきた。「天才とは何か?」と。
結論は実にシンプルだった──何もないところからイチを生み出せる人間こそが、本物の天才である。

◆ ゼロイチの天才とは何か
「ゼロイチ」とは、既存の延長線上にはない、まったく新しい何かをこの世に創り出す力を意味する。優秀な人はイチをテンに、テンを百にできる。しかし、ゼロから一歩目を踏み出せるのはごく一握りの存在だけだ。
科学の歴史はゼロイチの連続で成り立っている。ニュートンの万有引力、ファラデーの電磁誘導、アインシュタインの相対性理論、クロード・シャノンの情報理論──すべてが改良ではなく、概念そのものを創造した天才たちの業績である。
◆ 天才は“改良屋”ではない
日本社会は“改良屋”の文化が根付いている。他人が作ったものを几帳面に改良し、より良く仕上げていくことが得意な国だ。しかし、ゼロイチはその延長線上には存在しない。そこには、圧倒的な孤独耐性と説明のつかない直感が不可欠だ。
◆ ゼロイチ天才が育つ三条件
本物の天才が芽を出し、育つには、以下の三つの条件が不可欠である。
過干渉されない「放置」
心の支えとなる「理解者」
思う存分挑戦できる「資本と環境」
この三つが揃って初めて、ゼロイチの才能は開花する。
◆ なぜ天才はアメリカを目指すのか
人口規模では中国14億、インド13億という巨大な母数がある。しかし天才たちが最後に目指すのは、なぜかアメリカだ。その理由は明白だ。彼らが求めるのは「静寂」と「自由」、そして「放置される幸福」だからである。
天才は名声を欲するわけでもなく、過剰に持ち上げられたいわけでもない。ただ静かに自分の思索に没頭できる空間を求めている。その空間が、アメリカにはある。
◆ 放置される幸福と資本の論理
中国やインドでは、常に社会の目があり、家族や組織のしがらみが人生に絡みつく。一方、アメリカでは奇抜さが肯定され、変わり者でも誰も干渉しない“放置力”が文化として成立している。
さらに重要なのは、放置されるだけでなく、必要なときには資本が提供されるという点だ。口出しせずに金を出す仕組みが存在し、天才は自由と資金の両方を手にできる。この「放置と資本」の両立こそが、天才がアメリカを目指す最大の理由である。
◆ 層の厚さが育む謙虚さ
アメリカ社会には“層の厚さ”もある。少し成功した程度では誰も特別扱いしない。周囲には常に圧倒的な天才が存在し、謙虚でいなければ淘汰される。その厳しさが、天才たちの成長に拍車をかけている。
◆ 天才は自由を求め、アメリカを目指す
天才が最後に選ぶ場所は決まっている。
誰にも干渉されない場所
思索と挑戦が許される場所
ゼロイチの飛躍が可能な場所
その答えは今も昔も、アメリカであり続ける。
◆ 結論──「帰ってこられる国」を日本は目指すべきだ
今の日本は、世界中の天才を呼び寄せる力も、ゼロイチを量産する力も持たない。しかし、世界へ飛び立った天才が帰ってこられる国をつくることはできるはずだ。
天才は必ず自由と挑戦を求めて外へ飛び立つ。しかし、世界の最前線で磨かれた彼らがふと立ち止まり、「日本に帰って何かを創りたい」「この国で次の挑戦をしたい」と思える社会を用意できるか。それがこれからの日本の課題である。
帰国した天才たちに必要なのは、
無用な干渉をせず
無駄な足の引っ張り合いもなく
「帰ってきてくれてありがとう」と迎え入れる空気
税務制度や相続制度を世界スタンダードへ改革
である。
天才は一度外に出る。だが戻ってきたとき、次の世代のゼロイチの土壌を耕し、新たな才能を育てられる──そんな循環が回る社会を、日本は目指すべきなのだ。
1-2-3-4の法則
感性を高めるために、月に1度は生演奏、月に2度は温泉、月に3度は映画鑑賞、月に4度はゴルフしたら良いと思う。

【知性と無意識の統合】
生成AIは、「文章の続きを予測する」ことから始まった──
この単純な原理が、21世紀の知能の定義そのものを変えつつある。
知能とは何か。従来は、記憶・推論・判断などの能力の集合体とされてきた。だが近年、脳科学や人工知能の研究から浮かび上がってきたのは、「知能とは、未来を予測する能力である」という再定義だ。

◆ 脳は“予測装置”である
人間の脳は、ただ反応しているのではない。
世界の構造を学び、次に起こることを先回りして予測している。
「予測符号化理論(Predictive Coding)」によれば、脳は常に仮説を立て、現実の感覚と照合し、ズレ(予測誤差)を最小にしようとする。
つまり、私たちの「知覚」とは、未来の先読みなのだ。
◆ AIもまた、“予測”のかたまり
ChatGPTを含む現代のAIは、膨大な文脈をもとに、「次に来る語を当てる」よう設計されている。この構造こそ、知能を“予測の精度”として捉える考え方を裏付けている。
◆ 乳児もまた、予測することで世界を理解する
赤ん坊は、他者の表情や動きから「次に何が起こるか」を学ぶ。それはまるで、未知の世界に対して小さな予測モデルを作っていくようなものだ。ここに、知能の本質を見ることができる。
◆ 知能=予測能力──その利点
環境適応性:未知の状況でも、予測ベースで対応できる
学習可能性:誤差から学び、モデルを更新できる
抽象化力:経験から世界の構造(因果)を内面化できる
そして、この予測力が研ぎ澄まされたとき──
そこに現れるのが「知性に裏打ちされた第六感」である。
◆ それは“剣豪の一太刀”にも似て
剣の達人は、「考えている暇があるなら、もう遅い」という。だが、その“無意識の剣”は、無数の稽古と経験に支えられている。つまり、極限まで鍛えられた直感は、もはや高度な知性と同義なのだ。
◆ 医療の現場でも、芸術の瞬間にも、スポーツでも
たとえば、名医が患者の些細な表情から異変を察する。
熟練の経営者が、市場の雑音の中から“兆し”を聞き取る。音楽家が一瞬で、ホール全体の空気を変えてしまう。大谷翔平が球速と球威を予想して打球をホームランに繋げる。
それは、意識と無意識、知と感性が融け合った瞬間──
「ロジックで鍛えられた直感」が発動する場面である。
◆ AIとの違いは、“未知”に強いかどうか
AIは過去のデータに基づいて予測を行うが、その文脈が訓練データにないと、脆さを露呈する。一方、人間の“第六感”は、過去の経験を抽象化し、まったく新しい状況にすら直感的に適応できる。
つまり、最強の判断力とは、論理と直感の融合にある。
医療、経営、教育、そして芸術──
これから求められるのは、「考える力」と「感じる力」の架け橋だろう。
知性とは、未来を感じ取る“静かな力”である。
その力が、未踏の領域を切り開いていく。