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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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参議院選挙2025年

参議院選挙2025年。終了ですね。

自民大敗といいますが、比例の得票率で国民の21%しか得票していない政党がほぼ過半数を取る仕組み自体がおかしなことですよね。

こするだけで鉛筆の名前が消えてしまう、株式会社ムサシの投票システムはもうやめて、3年後はネットで投票にしましょうよ。

マイナンバーカードの導入が、なぜ選挙にも検討されないのか?政治家さんは知ってるからですよね。

デジタル大臣なるものがまず取り組むべきはそこでしょう。


【新国際学会周遊記──カラオケの進化と現代医学から見る健康効果】

【新国際学会周遊記──カラオケの進化と現代医学から見る健康効果】

ゴルフ医科学研究所でもJOYSOUNDのハイレゾカラオケシステムを導入しています。

日本発祥の「カラオケ」──空(カラ)オーケストラが語源とされるこの文化は、今や世界市場で6000億円規模に成長しています。
日本の都市を歩けば、どこからともなく聴こえてくる歌声。国民的娯楽として定着したこの文化は、実は“健康”という観点からも極めて重要な役割を果たしています。

■ カラオケの歴史──経済成長と共に花開いた“歌う文化”

カラオケの誕生は1971年、兵庫県加古川市の飲食店に設置された自動伴奏装置が始まりとされています。そこからわずか数十年の間に、カラオケは日本中に爆発的に広まりました。
1980年代にはバブル景気とともに「カラオケボックス」という個室スタイルが登場。プライベートな空間で思う存分歌える環境が整い、庶民の娯楽として不動の地位を築きました。
1990年代にはレーザーディスク化、2000年代以降はインターネット通信カラオケ(DAM、JOYSOUND)の普及、そして2020年代にはAI採点やオンライン配信、ボイストレーニング機能まで備えた“総合エンターテインメント空間”へと進化しました。

■ カラオケの健康効果──“歌う医学”の可能性

カラオケは単なる娯楽ではありません。現代医学の視点から見ても、心身の健康に大きなプラス効果をもたらすことがわかってきました。

1. 呼吸と心肺トレーニング

歌うことで自然と深い腹式呼吸が促され、横隔膜や体幹が鍛えられます。特に呼吸器の機能改善、心肺機能のトレーニングとして非常に優れた効果があります。

2. 自律神経とストレス解消

大きな声で歌うことは自律神経のバランスを整え、交感神経と副交感神経のスイッチングを助けます。特にストレス社会に生きる現代人にとって、短時間で“心が軽くなる”簡便なメンタルケア手法といえるでしょう。

3. 脳活性と認知機能向上

歌詞を覚え、リズムを取り、感情表現する──この複雑な行動は、自然と脳全体を活性化させます。高齢者においては認知症予防の観点からも非常に注目されています。

4. 社会的交流と孤立防止

カラオケは「ひとりカラオケ」も人気ですが、友人や仲間と歌うことで、社会的孤立の予防にもつながります。地域の健康教室や介護施設でも積極的に導入されています。

■ 令和のカラオケは“健康管理ツール”へ

近年のカラオケ機器は単なる採点機能だけではありません。声の張り、リズム感、呼吸パターンなどから、歌いながらその日の健康状態を“見える化”する仕組みも搭載されています。まさに、歌いながら健康を意識する──そんな新しい健康習慣が生まれつつあります。

■ 結論──カラオケは“心と体のメンテナンス空間”である

深呼吸し、思い切り声を出し、音楽に心を解き放ち、人とつながる──それがカラオケという文化です。令和の時代、カラオケはただの娯楽ではなく、心身を整え、人生をより豊かにする“メディカルエンタメ”として進化を続けています。

歌えば健康、声を出せば人生はもっと輝く──その象徴が、カラオケなのです。


【新国際学会周遊記──“平和教育”という名の思考停止からの覚醒】

【新国際学会周遊記──“平和教育”という名の思考停止からの覚醒】

戦後80年あまり、日本は気が付けば「考えてはいけない領域」を持つ国になっていました。
「核」と聞けば条件反射で思考停止。「軍事力」の話をすれば「戦争したいのか」と感情的に糾弾される。
まるで国際常識を知ること自体が“悪”であるかのような空気が、教育とメディアの中で70年以上も醸成され続けてきたのです。

しかし、世界の現実は違います。

歴史を俯瞰すれば、戦争は「抑止力」を持たない国で頻発し、「核」を持つ国同士の間では抑止のバランスが機能し、大規模戦争が回避されてきたことは明白です。
戦争が起きるのは常に非核国、代理戦争の舞台は常に核保有国の外──これが冷徹な現実です。

一方、日本国内はどうでしょう。

「平和憲法が日本の平和を守った」という魔法のような言葉が未だに流布されています。
しかし実態は、米国の核の傘と軍事力に安全保障の全てを丸投げし、その代償として外交権も経済戦略も失ってきたのが戦後日本の本当の姿でした。
世界の国々は“自ら守る力”を前提に国家運営をしています。独立国家である以上、自国の軍事と外交を他国に委ねるという選択肢は本来ありえないはずです。しかし日本では「軍事は悪」「核は絶対悪」という単純化された価値観のもと、議論自体が封印され続けてきました。
これこそが「平和教育」の最大の問題点です。

本来、平和とは「自らの力で維持するもの」です。
にもかかわらず、日本人は「戦争=絶対悪」「軍事=悪」「核=タブー」と刷り込まれ続けてきた結果、独立国として最も基本的な“安全保障の自覚”すら奪われてしまったのです。

忘れてはならないのは、世界の平和は“善意”によって守られているのではなく、“均衡(バランス・オブ・パワー)”によって維持されているという事実です。

なぜ日本はこの常識から外れてしまったのか。

理由は明確です──戦後日本は冷戦構造の中で「軍事的従属国」「経済植民地」としての立ち位置を与えられ、その構造が与野党の政治構造を通じて今日まで温存されてきたからです。
政権交代はあっても、根本の国防政策は常に“属国路線”のまま。これは戦後世界秩序の設計図そのものだったのです。
実際、日本には世界有数の原子力発電所群と、核燃料サイクル技術があります。少し本気を出せば、他国に頼らずとも自国の抑止力を持つことは可能です。しかし、それを議論すること自体が“危険思想”とされ続けてきました。

気がつけば、日本人は「守ってもらうこと」を当然視し、「自ら守る責任」を放棄したまま“平和”を語る民族になってしまったのです。
もう一度言います。

私は戦争を肯定しているわけでも、軍国主義を推進しているわけでもありません。しかし、真の独立国として「戦争を起こさせない強さ」「堂々たる交渉力」を持つために軍事的基盤を整えることは、国際常識では当たり前の選択です。

“平和”とは、守る意志と力があってこそ成立するもの──この極めてシンプルな真理に、私たちは目を覚ますべき時期に来ているのではないでしょうか。
“平和憲法”では平和は守れない。他国の軍事力に頼った“幻想の平和”から、今こそ日本は卒業し、自らの意志と力で国家の未来を切り開く覚悟を持つべきだと、僕は思います。


レブエルトがプラッドを打ち破る! * ランボルギーニ・レブエルト vs テスラ・モデルS プラッド 1/4マイル ドラッグレース

テスラS Plaid と 12気筒のランボルギーニ レブエルト

直線だとあっさりテスラなんですよね。

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