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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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上野動物園のお土産

スタッフが休みの日に行った上野動物園のお土産だそうです。

パンダといえば僕らの時代は田中角栄の日中友好で寄贈されたランランとカンカンでしたが、まあこうした絶滅危惧種が外交の手段として長く使われているのは複雑ですよね。

和歌山県白浜町にある「アドベンチャーワールド」では、4頭のパンダが中国への返還が終わり、観客がジリ貧になっているとのこと。

また、2026年2月には東京・上野動物園にいる2頭も返還され、日本には1頭もいなくなることが決まっているのだそうです。


幸せホルモンのセロトニンを促す“セロトニンスイッチ”装置

今日もクリニックFの診療日です。

朝一番の患者さんから興味深い質問を受けました。更年期で悩んでる時に、幸せホルモンのセロトニンが良い働きをすると聞いた、そのセロトニンを活性化させるためにブランコを漕ぐと良いと記事で読んだが、本当ですか、と。

うーん面白い。

セロトニンは「幸せホルモン」とも呼ばれる脳内神経伝達物質で、気分の安定・集中力・睡眠リズムに深く関わります。

スキンシップや交流つまり、人や動物との温度のある生物触れ合いも効果的だと言われていますが、日本人はハグの文化はあまりないですよね。まあ高温多湿な時期があるからなのでしょうが。

少し考えてみましたが、ブランコは、まさに4つの要素を一度に満たせる、かなり優秀な“セロトニンスイッチ”装置だと思います。

1. 前後に揺れる=リズム運動

ブランコの揺れは規則正しい前後運動で、脳幹の縫線核からのセロトニン分泌を促すことが知られています。
特に“リズム+適度な全身運動”という条件は、うつ症状の改善やリラックス感向上に寄与しやすいと報告されています。

2. 外で日光浴=網膜刺激

屋外でブランコに乗ると自然光が網膜を刺激し、セロトニンの合成に必要な信号が視交叉上核に届きます。光の強さは室内照明の10〜50倍以上になるため、日内リズムも整いやすくなります。

3. 風・景色=五感刺激

揺れに伴う風や視界の変化は、視覚・聴覚・体性感覚を同時に刺激します。
五感刺激によるリラックス効果は、いわゆる“マインドフルな没入状態”を生みやすく、自律神経の副交感神経優位化に繋がります。

4. 子供時代の記憶=ポジティブな情動

ブランコは多くの人にとって幼少期の遊びの象徴です。懐かしい感覚は扁桃体や海馬を介して情動をやわらげ、脳内でオキシトシンやエンドルフィン分泌も誘発します。

総合すると
ブランコは「運動」「光」「五感」「情動記憶」という4つの経路から同時にセロトニンとリラックス反応を引き出せる、シンプルで科学的にも理にかなった方法です。
唯一の注意点は、三半規管が敏感な人や高齢者ではめまいや転倒リスクがあるため、強く漕ぎすぎない・足元を安定させることが必要です。ブランコはとても優秀ですが、「セロトニンスイッチ」を入れる方法は他にもいくつかあって、目的や環境によってはさらに取り入れやすい選択肢もあります。

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研究データの裏付けがある、かつ日常生活で実践しやすいものを挙げます。

1. 一定テンポのウォーキング(特に朝)

ポイント:規則的なリズム運動+屋外光
朝の散歩は、歩行の左右運動がセロトニン神経を刺激、加えて日光が視交叉上核を通じて体内時計をリセット。
おすすめ条件:朝起きて1時間以内、15〜30分程度、歩幅を意識。

2. 太極拳やゆったりした舞踊

ポイント:緩やかな全身のリズム運動+呼吸法+集中(マインドフルネス)
太極拳は高齢者のうつ症状改善や睡眠の質向上が複数研究で報告。バレエや社交ダンスも、音楽との同期でリズム感と情動を同時刺激。

3. 自転車(特に景色の良い道)

ポイント:ペダリングの規則運動+風+視覚刺激
有酸素運動による脳由来神経栄養因子(BDNF)増加も期待。速度を出しすぎず、会話できるペースが理想。

4. 水中ウォーキング

ポイント:水圧と浮力で関節負担減+一定リズム運動
温水プールでは副交感神経優位化が起こりやすく、心身の緊張が解ける。

5. 楽器演奏(打楽器や弦楽器)

ポイント:身体動作と聴覚刺激が同期
ドラムやギターのストロークは、手足のリズム運動+感情表出によるセロトニン放出。ピアノでも一定テンポのスケール練習は同様の効果あり。

まとめ

ブランコは「子供時代の楽しい記憶+五感刺激」という点で独自性あり。ただし日常習慣化を考えると、朝のウォーキングや太極拳などの「道具や場所を選ばない方法」も強い。
感情のスイッチを重視するならブランコや楽器、生活リズム調整を重視するなら朝散歩や自転車が有効。


【新国際学会周遊記──大人になって書く戦争の感想文】

【新国際学会周遊記──大人になって書く戦争の感想文】

思えば子どもの頃、毎年8月になると必ず「戦争は良くないことです」という感想文を書かされた。

広島、長崎の被爆体験記を読み、「はだしのゲン」などの漫画、真っ黒に焦げた校舎や焼け跡の写真を見て、幼い心はただ「怖い」「ひどい」「やめてほしい」と感じた。

あの頃の僕は、戦争を「道徳的に悪いこと」と捉えて、同時に当時の日本政府が道を踏み外した様に教育された。

それから数十年──。

僕は社会に出て、日本経済の一端を担う立場となり、国際会議や交渉の場に立ち、海外から日本を俯瞰できる様になった。

そこで知ったのは、戦争が単なる感情論で片付けられる現象ではないということだ。

戦争は、しばしば経済の延長線上にあり、当然の様に双方の国に言い分はある。

資源の奪い合い、通商ルートの確保、同盟義務、そして国内の政治的危機の火消し──。

歴史をひも解けば、開戦の裏には必ず「経済的理由」が存在する。

第一次世界大戦では植民地争奪、第二次世界大戦では経済制裁と資源封鎖が引き金となった。

現代でも、原油やレアメタルの争奪が火種となりうる。

また、経済は戦争によって破壊されるだけでなく、一部の国や産業にとっては利益を生む。

戦争の双方に対して商売をする金融や軍需産業はその典型だ。

米国は第二次世界大戦後、武器輸出と復興支援で経済を拡大した。

一方、敗戦国の日本は焦土から立ち上がる過程で「平和国家」というブランドを築き、経済発展を遂げた。

皮肉なことに、その復興もまた国際政治の駆け引きの中にあった。

では、大人になって僕がこのテーマで何を書くか。

当然の様に小学生の時のままの思考停止ではいけないと思う。

まず、戦争の悲惨さは揺るがない事実として提示する。

しかし同時に、なぜそれが起こるのか、その構造を理解しなければならない。

そして、現実的な戦争回避策を模索する必要がある。

経済的相互依存、国際法、軍事的抑止──どれも万能ではないが、組み合わせることで戦争の可能性を減らすことはできる。

子どもの頃の感想文は「戦争は良くない」で終わった。

だが大人の感想文は、そこからさらに踏み込み、こう結ぶ。

戦争は悪である。しかし、戦争の構造を知らずして平和は守れない。

平和は祈るものではなく、設計し、維持し続けるものである。


残念

お盆って、人の流れが変わっちゃうんですかねえ。

いつも行くお店が満員だったりお休みで、仕方ないのでクリニックから近いのに、初めて入ったお店へ。

ワインでカベルネとシラーズと書いてあったオーストラリアのグラスワインを頼んだんですが、まず白ワインが出てきて、「いや赤頼みましたよ。オーストラリアでカベルネとシラーズと書いてあったやつ」と言ったら、別のコップで赤ワインが出てきたんですが、これが新世界のピノっぽくて絶対フルボディじゃない。これはお店を選択ミスしたなあと思ったんですが、出るに出られず。

今度は大山どりおまかせ5本串セットを頼んだら、串が燃えてて、持っただけで肉も外せずにポキポキ折れてしまいました。串が燃えてて折れちゃったよ。と言ったら肉取りましょうか?と言われたけど、そういう問題じゃないなあ。

五島列島直送の名店という事だったけど、残念。もう行かない。


ロバート・デ・ニーロ主演の映画『俺たちは天使じゃない』

今日のクリニックFの受付で流しているのはロバート・デ・ニーロ主演の映画『俺たちは天使じゃない』。

ハンフリー・ボガート主演の1948年米映画 “We’re No Angels” のリメイク版です。

1989年のこの作品、舞台はカナダ国境近くの修道院。

刑務所を脱走した二人の囚人(デ・ニーロとショーン・ペン)が、偶然修道士と間違えられて修道院に匿われるという展開。

もちろん二人は天使どころか、刑務所から逃げてきたばかりのアウトローだ。だが、追っ手から身を守るために「善人」を演じるうち、彼らは意図せず人助けをしてしまう。

彼らはバレないように「善人」を演じるのですが、人間の行動は単純な善悪では割り切れないというテーマが浮かび上がります。

この映画、単なるコメディに見えますが、

役割と本質のズレ(見かけの聖職者 vs 実際の犯罪者)
人間の中の善悪の同居
環境が人を変える可能性

がうまく描写されています。

人間は「天使」でも「悪魔」でもなく、その中間に揺れ動く存在だという、人間性の二面性を示すメタファーとしても読めます。心理学的にも、人間は利他的行動と自己中心的行動を併せ持つということなんでしょうね。

話変わって

映画のタイトルは
“We are no angels” であって
なぜ”We are not angels” じゃないんでしょう?

ネイティブじゃない僕はよくわからなかったのですが、ChatGPTが教えてくれました。

両者は文法的にはどちらも正しいですが、意味や響きが違います。

1. “We are no angels” のニュアンス

口語的でイディオム的な表現。
「私たちは決して天使なんかじゃない」というニュアンスで、「(むしろ)悪い面もある」 ことを暗示します。
「no」が使われることで、事実の否定というよりも性質や評価の強調になります。
映画『We’re No Angels』のようにタイトルで使うと、ちょっとした皮肉・ユーモアが混ざります。
例: He is no doctor.(彼は医者なんかじゃない → 実際には全然そう見えない)

2. “We are not angels” のニュアンス

単純な事実の否定。
「私たちは天使ではない」という、説明的でフラットな意味。感情的なニュアンスや皮肉はなく、ただ属性を否定しているだけです。
例: We are not doctors.(私たちは医者ではありません)

つまり

映画タイトルが “We are no angels” なのは
タイトルでは事実を淡々と否定するよりも、「ちょっと悪い奴らだけど憎めない」というニュアンスを出したいからです。
“no” はそういうキャラクター描写にぴったりで、聞いた瞬間に“ストレートじゃない魅力”を感じさせます。

なるほど。勉強になりました。


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