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【新国際学会周遊記──AI時代に人間が生き残るための7つの力】

【新国際学会周遊記──AI時代に人間が生き残るための7つの力】

帰国してからというもの、なぜか大学教授との対話の機会が続いている。

一昨日は昼・夜と異なる分野の東大教授と、昨日は医学部の教授と——

話題は自然と、いまどきの学生の試験やレポートの話になる。

曰く、最近はChatGPTを使って書かれたレポートが多く、採点に困るのだそうだ。

確かに、従来の大学教育というのは、「論点がいくつ含まれているか」を見て加点し、「間違った内容」があれば減点するという構造だった。

けれど、これからは——

「その学生が、どのようにAIを問い、活用したか」を評価するべきなのではないかと僕は思う。

つまり、宿題はAI使用OK。ただし、どんな質問をしたかを別紙で提出せよ、と。

これは一見、些細なように見えて、実は本質的な提案だ。

◆ AIは疲れを知らない、東大修士号レベルの研究助手である

現在の生成AIは、まさに「文句も言わず働く、超優秀な助手」だ。
・調べもの
・翻訳
・要約
・資料の整理
こうした作業を、徹夜で愚痴一つこぼさずこなす。いや、もはや人間の域を超えている。
そして、2025年9月に登場予定のChatGPT 5.0は、ハーバード博士号レベルの汎用頭脳になると噂されている。
このような存在を前にして、果たして我々人間に「勝ち目」はあるのだろうか?

◆ AI時代、「問い」が知性のリトマス試験紙になる

「生成AIを使うとバカになる」という声もある。だが僕はむしろ逆だと思っている。
これからは——考える力のある人しか、生き残れない時代が来る。
なぜなら、AIは確かに大量の知識を吐き出せるが、どの問いにどう答えるべきかは、あくまで人間の手に委ねられているからだ。
問いが甘ければ、出てくる答えも甘い。
問いが深ければ、AIはときに驚くような洞察を返してくる。
「質問力」とは、そのまま「知性の深度」なのだ。

◆ フェイクを見抜く“文化的直感”はAIの盲点である

そしてもう一つ大事なのが、「教養」である。
AIは統計から答えを導く。だが、その統計自体が虚偽であれば、出てくる答えもまた虚構だ。
現代は、“情報が多いから真実が見える”のではなく、
“情報が多すぎるから嘘が紛れ込む”時代だ。
だからこそ、人間には長い歴史の中で蓄積された「文化的直感」が必要となる。
哲学、宗教、歴史、文学、古典芸術……
これらは「役に立つ」ための学問ではなく、「騙されない」ための武装なのだ。

◆ AI時代に人間が生き残るための7つの力

それでは、ここからが本題である。
AIと共生するこの時代、人間が発揮すべき能力とは何か?
私見を込めて、以下に7つの力を整理してみたい。

1. 目的設定力(Whatを定める力)
AIは「How(どうやって)」の達人だが、「What(何をすべきか)」は決められない。
人間に求められるのは、方向性を決める力である。
例:どの研究テーマに取り組むか
例:どんな社会課題を解決すべきか

2. 統合力・編集力(Interdisciplinary Synthesis)
AIが出す「断片的な知識」を、文脈の中で再構成する能力。
異なる分野をつなぎ、新しい視点や概念を生む編集力が鍵になる。
例:医工連携、音楽と脳科学、宗教と医療倫理の統一

3. 倫理的判断力と価値観の確立
AIは「できるか」は分かっても、「やるべきか」は判断できない。
だからこそ、人間には倫理的な舵取りが求められる。
例:AIによる診断はどこまで許されるか
例:遺伝子編集の限界と可能性

4. 創造性・美的感覚
AIも「美しい画像」は作れる。だが、それが本当に心を動かすかは別問題だ。
物語性、感動、意外性……
人間の想像力が生む“余白”こそが、アートである。
例:オペラ演出、広告コピー、ストーリーテリング

5. 対人関係力・共感力(Human Touch)
AIは感情を“シミュレーション”できても、本当の共感はできない。
人間の言葉にならない空気感、信頼、気配……これらは、AIには再現できない。
例:カウンセリング、医療現場、リーダーシップ、政治交渉

6. 試行錯誤力(失敗から学ぶ力)
AIは計算から最適解を出すが、人間は試して失敗して学ぶ。
現場での発見や、身体を通じた学びは、AIが持たない「経験知」である。
例:プロトタイピング、フィールドワーク、職人技術

7. 学び続ける力(Learning Agility)
AIがアップデートを続けるなら、我々人間も知的柔軟性を保ち続けねばならない。
“学び続けること”そのものが、生存戦略となる。
例:環境変化への適応、新分野への参入

◆ 人間は「人間性」を深めることで生き残る

AIは、道具であると同時に鏡でもある。
我々が「AIに真似されること」を増やすのではなく、
「AIに決して真似できない人間性」を深めていくこと。
それが、人間に残されたフロンティアであり、創造の源泉なのだ。


大学の教授と会食

今日は大学の教授と会食でした。

chatGPT時代に学生のレポートをどう評価するかが難しいとおっしゃったのですが、そんなのは簡単です。

chatGPTを使ってレポート書いていいので、どういう質問をしたのかも別紙に併記しろと。

要は質問力を評価したらいいんです。教養がないと鋭い質問はできない。


核兵器の廃絶を主張する事はあくまでも願望

核兵器の廃絶を主張する事はあくまでも願望。

核配備についてはその言葉だけで耳を塞ぎ、議論にならない場合が多いけど、現実的には、核による相互抑止力がないと国際社会では主張さえできないことに、日本人が気づくべき。


【国際学会周遊記:日本の価値観を変えた15の事件と4大転換】

【国際学会周遊記:日本の価値観を変えた15の事件と4大転換】

「昭和100年史を振り返る」の企画を始めてから現代史における理解がより深まった気がします。畢竟、日本人は近代史現代史とともに、

①国家主義の時代:ペリー来航~日露戦争
②平和主義の時代:敗戦~戦後復興
③経済主義の時代:高度経済成長~バブル崩壊
④リスク社会の時代:阪神淡路大震災~現代

と価値観を変えてきたといえます。

さらに、日本近代史の4つの価値観転換に基づいて、人々を生きた時代ごとにカテゴライズすると、「その時代の空気を吸って形成された価値観」が世代間で大きく異なることが見えてきます。

◆ 1. 国家主義の時代(ペリー来航~日露戦争)

該当世代:明治初期~日露戦争期に青年期を迎えた人々
例:明治維新前後の人々、乃木希典世代
特徴:封建社会から近代国家への転換を体感
国への忠誠と「富国強兵」の価値観が強い
個人よりも「家・村・藩」から「国家」への帰属意識

◆ 2. 平和主義の時代(敗戦~戦後復興)

該当世代:昭和一桁~戦中生まれ(1920~1945年前後)
特徴:戦争体験、敗戦体験による「反軍国主義」「平和志向」
「衣食住の安定」が何よりの幸せと感じる
GHQ占領下の価値観転換を目の当たりにした「耐乏・忍耐」の世代

◆ 3. 経済主義の時代(高度経済成長~バブル崩壊)

該当世代:
団塊の世代(1947~49年生まれ):高度成長を駆け上がった中心世代
バブル期就職世代(1960年代後半~1970年代前半生まれ)
特徴:「努力=報われる」経験
終身雇用・年功序列・大量消費の恩恵を享受
住宅・車・家電などモノ中心の幸福観

◆ 4. リスク社会の時代(阪神淡路大震災~現代)

該当世代:
就職氷河期・ロスジェネ(1970年代後半~1980年代前半)
ゆとり世代(1987年以降)~Z世代
特徴:阪神淡路大震災、地下鉄サリン、東日本大震災、コロナ…「安全神話崩壊」下で育つ
正規雇用の減少、格差意識、リスク対応型の価値観
モノよりコト、安定より自由・多様性志向

【第1転換:封建から国家主義へ】

ペリー来航(1853年)
 鎖国の終焉と外圧による近代化意識の芽生え。
明治維新(1868年)
 封建制廃止と能力主義社会への転換。
日清・日露戦争(1894–1905年)
 「小国日本」が列強入り、国家中心のナショナリズムが確立。

【第2転換:国家主義から平和主義へ】

関東大震災(1923年)
 文明都市の脆さと防災・インフラ意識の芽生え。昭和不況へ。
第二次世界大戦・敗戦(1945年)
 軍国主義崩壊、平和憲法と個人主義の導入。
安保闘争(1960年)
 市民の政治参加意識が高まり、戦後民主主義が成熟。

【第3転換:平和主義から経済主義へ】

東京オリンピック(1964年)
 復興と先進国入りの象徴。インフラ整備で都市と生活が刷新。
高度経済成長期(1950年代後半~1973年)
 大量消費社会と「一億総中流」意識の形成。
オイルショック(1973年)
 資源の有限性と省エネ・倹約志向の定着。
バブル崩壊(1991年)
 成長神話崩壊、経済以外の価値への模索。

【第4転換:経済主義からリスク社会へ】

阪神・淡路大震災(1995年)
 行政依存から「自助・共助」へ。ボランティア元年。
地下鉄サリン事件(1995年)
 国内テロの衝撃で「絶対安全な日本」という神話が崩壊。治安・社会不安への警戒意識が強まる。
IT革命・インターネット普及(1995年以降)
 情報の民主化と権威構造の変化。個人発信時代の到来。
東日本大震災・福島原発事故(2011年)
 自然災害と原発リスクによる安全神話の完全崩壊。分散型社会への意識。
新型コロナウイルス感染症(2020年~)
 非接触・デジタル化・健康志向が日常基盤に。

つまり
昭和一桁生まれ:戦争と敗戦の現実を知る「耐乏・復興」世代
団塊世代:高度経済成長と物質的成功を体現した「経済主義」世代
バブル期以降:リスク社会と共に生き、安定より適応力や多様性を重視する「分散型価値観」世代

こうして並べると、団塊世代までとバブル世代以降では「前提としている社会像が全く違う」=まさに別人種といえますね。


【国際学会周遊記:原爆という「20世紀の座標軸」】

【国際学会周遊記:原爆という「20世紀の座標軸」】

今日は広島に原爆が投下された日。今は投下された8時15分。

20世紀の歴史を振り返るとき、もっとも象徴的な出来事の一つが「原爆」であることに疑いはないだろう。科学の知が結集し、たった数年で未曾有の破壊力を持つ兵器が現実となった。そして、それは1945年8月、広島と長崎の空に投下され、人類史に決定的な痕跡を残した。

僕は鎌倉で生まれ育ったけれど、30年前に父が呉の大学に赴任した事もあり、広島には現在実家がある。
祖父は呉の海軍に佐官として務め、父が呉海軍病院に生まれ、戦中の祖父の死と共に、祖母は神奈川に居を移したが、思えば藤本家にとっては広島は深い縁がある。
原爆は単なる軍事技術ではなかった。それは科学の進歩と倫理の断絶、政治と軍事の力学、記憶と責任の問題を凝縮した存在であり、冷戦の秩序を築く原点ともなった。
科学者が砂漠で見た閃光から、被爆地の碑文に刻まれた言葉、そして現代の核危機まで――「過去」を知ることは未来を読み解くための作業だ。
1945年、ニューメキシコの砂漠で閃光が走ったあの瞬間から、世界は変わった。科学は知の探求から、国家の権力装置へと変貌し、人類は自らの手で「世界を破壊できる力」を得た。それから80年近く経った今も、その構造は根本的に変わっていない。

原爆は戦争を終わらせるために投下された――その言説は長らく支配的だったが、残念ながら原子爆弾が落とされなくても日本の敗戦は決まっていた。資料の公開や歴史家たちの検証により、その背景にはトルーマンにより南下するソ連の参戦前に戦後秩序形成を見据えた冷徹な政治計算をした結果だと明らかになった。
同時に、科学者たちは開発と破壊のはざまで苦悩し、国家に忠誠を尽くした者も、倫理に殉じた者も、いずれも「科学の力の前に無力であった」ことが証明された。

原爆が現代史に与えた論点としては

●原爆投下の決定過程(トルーマン政権の判断、マンハッタン計画の背景)
●戦後秩序構築における原爆の役割(核兵器によるパワーバランス)
●情報統制と歴史認識(戦勝国史観や冷戦下の正当化)
●ディープステート的な視点(金融・軍需産業の影響)

があげられるだろう。

■「記憶」から「問い」へ

広島に刻まれた碑文――「過ちは繰返しませぬから」。主語のないこの言葉が向けられている相手は、米国でも日本でもなく、おそらく私たち人類自身だろう。
だが「繰り返さない」とは、どういうことか。核兵器を使わなければよいのか? 核を保有し続けることは「繰り返している」とは言えないのか?
記憶をただ守るだけでは未来は変わらない。記憶を「問い」へと昇華すること。 それが、科学技術の時代を生きる我々の義務である。

■21世紀の「核」:現代の座標軸として

冷戦が終わっても、核は消えなかった。北朝鮮、イラン、ロシア――核の恫喝は地政学のツールとして再び姿を現している。技術はますます小型化・戦術化し、抑止ではなく「使える核兵器」が現実味を帯びてきた。
さらに、AI、量子計算、生物工学など、一つ間違えば、かつて原爆を可能にしたような「境界を越える技術」が次々と登場している。私たちは再び、知の力が暴走する可能性と向き合っている。

◾️原爆がなぜこれほどの破壊力を持ち得たのか

――その答えは、原子核の結合エネルギーと質量欠損にある。アルベルト・アインシュタインが1905年に示した有名な式、
E = mc^2
は、質量がエネルギーに変換されることを示す基本原理である。核分裂では原子核が二つに割れ、生成物の質量の合計が元の核よりわずかに小さくなる。ウラン235は中性子を吸収すると不安定となり、バリウム141とクリプトン92に分裂し、中性子を3個放出する。この質量差(質量欠損)が連鎖反応を起こして莫大なエネルギーとなって放出されるのだ。

■科学と倫理の再接続

科学は価値中立ではない。オッペンハイマーが「私の手は血で染まっている」と語ったあの瞬間から、科学者の仕事は「知の探究」だけではなくなった。科学は倫理と無関係であってはならない。
だからこそ私たちは今、再び問い直さねばならない。
「科学とは誰のために、何のためにあるのか?」

■未来への静かな祈り

科学は人類を滅ぼす力を持ち得る。しかし同時に、それは人を癒し、宇宙を解き明かし、苦しみを軽減する力にもなりうる。
原爆はその両義性を突き付けた人類の原点であり、これからの科学と社会のあり方を問い続ける「静かな地雷」のような存在なのだ。
今を生きる私たちは、過去を悼みながら、未来を創らねばならない。
閃光の後に訪れた静寂――あの「沈黙」の意味を、私たちはまだ語り尽くしていない。


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