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【書評:藤本幸弘『AI時代の新勉強法』】

【書評:藤本幸弘『AI時代の新勉強法』】

AIの進化が「情報」の意味を根底から変えてしまった今、藤本幸弘氏の新著『AI時代の新勉強法』(8月22日発売)は、未来を見据えた学びの羅針盤となる一冊です。

生成AIの登場により、我々の目の前には無限に近い量の情報が溢れています。

しかしその反面、「情報そのものの価値」は急速に低下しています。

加えて、今後はフェイク動画の氾濫によって、YouTubeをはじめとする従来型の集客モデルが崩壊していくであろうことを、著者は冷静に予測します。

その中で人間に求められるのは、単なる知識の詰め込みではなく、膨大なノイズの中から「真の情報」を見極める教養です。

本書が説くのは、「これは本当なのか?」と問い続ける姿勢、すなわち科学的な研究思考法を日常の学びに取り入れることの重要性です。

SNSを中心に拡散される情報の中で、懐疑と検証を繰り返し、真実へと迫る力。この力こそが、AI時代を生き抜くための最大の武器であると藤本氏は強調します。

本書は、AIを敵視するのではなく、AIがもたらす「情報洪水」の世界をどう泳ぎ切るか、そのための知的体力を鍛える実践書です。

学びの方法論が大きな転換点を迎えるいま、「未来の勉強」を考えるすべての人に手に取っていただきたい一冊です。

――まさに、「AI時代の新勉強法」は、知の氾濫期を生き抜くための哲学と戦略を同時に与えてくれる現代の必読書といえるでしょう。

暗記も根性もいらない AI時代の新・勉強法 藤本幸弘 (著)

 


【新国際学会周遊記 藤本美学の原点──顔から表情へ】

【国際学会周遊記 藤本美学の原点──顔から表情へ】

何回かこの話題をブログにしていますが、僕には、ずっと大切にしている言葉があります。

「35歳までは綺麗な顔を作る。35歳からは綺麗な表情を作る。」

これは、レーザー医師として多くの方と向き合い、また自分自身が年齢を重ねる中で自然に生まれてきた言葉です。

◆顔の美しさは、若さの特権

20代、そして30代前半までは、「顔立ち」が美の中心にあります。

肌の質感、骨格の整い、均整の取れた輪郭。

スキンケアや食生活、適度な運動、そして医学的なサポートによって磨き上げられるのも、この時期の顔の美です。

いわば、この時期の美は生まれ持った素材に磨きをかけることで完成していきます。

◆35歳から訪れる、美の転換点

けれど、35歳を境に変化が訪れます。

医学的に言えば、コラーゲンやエラスチンといった肌のハリを支える成分の生成が低下し、シワやたるみといった変化が現れはじめる頃。

しかし、同時に不思議なことが起きます。

患者さんを診ていると、顔立ちが若い頃よりも魅力的に見える人が増えてくるのです。

それは「表情」に宿る美しさ。

人生経験が眼差しに深みを与え、笑顔の柔らかさが人を惹きつけ、声や仕草までもがその人の個性を彩る。

この時期の美は、もはや「顔立ち」だけでは語れません。

生き方や心の在り方が、その人の表情を決定づけるのです。

◆顔は親からの贈り物、表情は自分の生き方

僕はこう考えています。

顔の美は、親からの贈り物。

表情の美は、自分の生き方の証。

35歳は、その境界線。

外見の若さに頼るのではなく、これまで積み重ねてきた人生そのものが「美」に変換される年齢です。

◆美の医療にできること

医療や美容医療の役割は、単に「若い顔を作ること」や「若さを保つこと」ではないと思っています。

それはむしろ、内面からにじみ出る美を最大限に引き立てるサポート。

僕が直接クリニックFの施術でお手伝いできることは、肌の質感を整えることですが、
それ以上に「その人らしい表情」を輝かせるために医学が存在する──僕はそう信じています。

結びに

「35歳までは綺麗な顔を作る。35歳からは綺麗な表情を作る。」

この言葉は、僕自身の臨床哲学であり、人生哲学でもあります。

人は顔立ちだけで評価されるのではなく、その人らしい表情にこそ本当の美しさが宿る。

そう信じて、これからも患者さんと向き合っていきたいと思います。


【新国際学会周遊記──江之島の文字のゆらぎ】

【新国際学会周遊記──江之島の文字のゆらぎ】

FB友達の編集者さんの投稿で思い出しました。

僕の生まれは鎌倉、育ちは藤沢、高校も鎌倉なので、いつも江ノ島が視界にありました。

でもこの江ノ島の表記は様々なのです。

現代では「江ノ島」という表記が最も一般的です。小田急線の駅名「片瀬江ノ島」も、観光案内も、この形で統一されている。小田急の子会社である江ノ島電鉄の略称「江ノ電」もカタカナを使いますね。
一方湘南モノレール江の島線の駅名は「湘南江の島駅」

さらに江の島灯台は「江の島シーキャンドル」とひらがななのです。

行政上の正式地名つまり住所表記は「江の島」であり、ここで既に「ノ」を片仮名にするか、ひらがなにするかで分岐があるのです。

さらに深く歴史をたどると、「江島」という二文字だけの表記が現れます。江島神社はまさにその名を今も守り続けているし、古地図や江戸の参詣記録には「江嶋」と旧字体が刻まれている。

そして、もっとも風情を感じさせるのは「江之島」です。

江戸の浮世絵師・歌川広重の版画《相州江之島弁財天開帳参詣群集之図》の題名に見られるように、この「之」の一字が加わるだけで、表記はどこか雅びやかで、参詣のにぎわいと江戸庶民の祈りを伝えてくれる。
漢文的な格調と、仮名的な柔らかさを併せ持つ響きは、まさに江戸文化の縮図ともいえるでしょう。

明治の頃には「江之島駅」という表記も散見され、やがて鉄道網の発達とともに「江ノ島」へと定着していく。しかしその移り変わりは、単に文字の変化ではなく、近代国家が言葉を統一し、観光を産業化していった歴史の表れなのです。

ひとつの島に、これほど多様な「名前の顔」が存在するのは稀有なこと。

「江之島」と書けば江戸の香り、「江嶋」とすれば石碑の風格、「江島」とすれば神社の神域、そして「江の島」「江ノ島」とすれば現代の湘南。

同じ島を呼び分ける文字のゆらぎは、まるで時間の層を一歩ごとに踏みしめるような感覚を与えてくれるのです。


偽物

偽物です。

プロフィールに良くわからない生き様とか標語を載せてるのは大抵偽物ですね。

この写真はワーグナー生誕200周年の時にバイロイトに行った時のもの。

僕の大切な写真なのに!


戦後の節目の首相談話

石破首相は戦後80年の談話を出しませんでしたね。

戦後日本の節目ごとに発表された首相談話は、いずれも「歴史認識」をめぐる国際的メッセージであり、同時に国内政治のバランスを反映した文書でした。

村山談話(1995)・小泉談話(2005)・安倍談話(2015)を比較して整理しますと

1995年(戦後50年):村山富市首相(社会党出身)による公式談話。冷戦後初の大きな節目。

2005年(戦後60年):小泉純一郎首相(自民党)。米国同時多発テロ後の国際秩序の中での発信。

2015年(戦後70年):安倍晋三首相(自民党)。戦後70年に際し、戦後の総括と未来志向を強調。

という流れでしたよね。

1995年8月15日、戦後50年の節目に村山富市首相(当時)が発表した「戦後50年の村山談話」。日本の総理大臣が、日本の地位を大きく貶めたという大失態を演じたのがこの村山談話でした。
公式には「過去の植民地支配と侵略を認め、痛切な反省と心からのお詫びを表明する」というもので、国際的にも大きく報じられました。

村山談話の骨子
「我が国は、過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によって多大の損害と苦痛を与えた」
「痛切な反省と心からのお詫びを表明する」
としました。

東京裁判的な歴史観においてはそのような認識があってもおかしくはありませんが、僕はこう考えます。

1. 国際法的観点からの異議
(村山談話の立場)
「植民地支配と侵略」によって他国に損害を与えた、と自己規定。

20世紀初頭、列強による植民地支配は「国際秩序の常態」でした。インド(英)、インドシナ(仏)、フィリピン(米)などはすべて植民地。
当時の「侵略」の法的定義は曖昧であり、国際法上「戦争違法化」が明確化したのは1928年の不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)以降。
日本の行為を戦後の国際規範でのみ裁くのは「事後法的」解釈の危険を孕みます。
よって、日本だけを一方的に「侵略国家」と断じるのは法的に不均衡。「帝国主義の時代の一プレーヤー」として位置づけるのが妥当。

2. 経済史的観点からの異議
(村山談話の立場)
「植民地支配=搾取」という前提。

台湾・朝鮮への投資は日本国家予算の相当部分を占め、鉄道・港湾・教育・医療などインフラ整備が行われた。
その結果、台湾・朝鮮では識字率・平均寿命が改善し、現地の経済基盤が整った。
欧米の植民地政策が「搾取型」であったのに対し、日本は「開発型」であった、という違いは歴史経済学でも指摘されています。
よって、日本の植民地支配は「欧米型と同列に扱うのは不適切」。搾取ではなく、投資と近代化の側面もあったことを踏まえるべき。

3. 地政学的観点からの異議
(村山談話の立場)
「満州国建設=侵略行為」と規定。

1930年代の中国大陸は、清朝崩壊後の軍閥割拠時代。中央政府は統治権を十分に行使できず、欧米列強・ソ連が進出。
満州は鉄鉱石・石炭など資源豊富で、ソ連極東との緩衝地帯として戦略的価値が高かった。
日本が「満州国」を設立したのは、共産主義の拡大と欧米列強の侵出から自国を守るための安全保障策と解釈できる。
満州国は形式的には独立国家であり、単純に「侵略」と片付けるのは地政学的文脈を無視している。

まとめ ― 三つの視点からの再評価

国際法的観点:当時の国際秩序では「侵略」の線引きが曖昧で、日本だけを責めるのは一面的。
経済史的観点:台湾・朝鮮への投資は「搾取型」ではなく「開発型」の植民地経営であり、欧米と区別して論じるべき。
地政学的観点:満州国建設は安全保障上の必然であり、「侵略」と断定するのは国際環境を無視した評価。

これからの日本を背負ってゆく人たちには、きちんとした歴史観を学んでもらいたいものです。


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