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「昭和100年史を振り返る」第5回 昭和50年~平成7年 西暦1975~95年

次回9月8日19時開催の「昭和100年史を振り返る」ですが
1975年から1995年を扱う予定でいます。

この間の経済的な側面としては、
中曽根政権下のプラザ合意の影響が大きくあると思います。

1985年9月のプラザ合意では、主要5カ国が「ドル高是正」に合意しました。その結果、ドル安・円高が急速に進行し、2年で1ドル=240円から120円台にまで円高が進みます。
日本の輸出産業は大打撃を受け、「円高不況」が深刻化しました。
「プラザ合意後の急激な円高への対応として政府・日銀がとった金融緩和と財政出動がバブルを招いた」
といえるのです。

亡き森永さんの著作にもありましたが、この理不尽ともいえるプラザ合意の契約には、中曽根首相のJAL123便事故への対応によって米国に弱みを握られたことが大きな理由との記載がありましたね。

政府・日銀の対応
輸出産業を救うため、日本政府は以下のような政策を次々と実行しました。

大規模な公共投資(内需拡大)

公定歩合の大幅引き下げ(1985年5% → 1987年2.5%)

金融機関の貸出拡大(いわゆる「金融緩和バブル」)
この低金利と信用膨張が、土地・株式市場への資金流入を加速させました。

バブルの形成
株価:日経平均は1985年の1万3000円台から、1989年末には3万8915円まで急騰。
地価:東京の地価は数年で数倍に高騰し、「日本の全土地価格でアメリカ全土が買える」と言われたほど。
この異常な資産価格上昇が「バブル経済」と呼ばれる状態でした。

総括

プラザ合意 → 急激な円高 → 政府・日銀の緩和策 → バブル経済

という流れですね。

思えば、プラザ合意後の日本と現代世界は、「基軸通貨国の赤字と通貨摩擦」、「金融緩和と資産バブル」という点で極めて似ています。
一方で、国際政治経済の主役は 日米対立 → 米中対立 へと移行していますから、今回は日本はわき役に徹するしかないようですね。

 

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「1970年からの総理大臣」を整理すると、日本の高度経済成長の終盤から「失われた30年」へ至るまで、めまぐるしく宰相が入れ替わっていきます。

特徴的な点
首相の短命化
1990年代から2000年代にかけて、1年足らずで交代する首相が続出。政策継続性を欠き、国際的に「決められない日本」と評されました。
中曾根康弘・小泉純一郎・安倍晋三という例外的長期政権
ここで一気に時系列で一覧にしてみましょう。

1970年代(高度経済成長の終焉と石油ショック)

佐藤栄作(1964–1972)
沖縄返還協定(1971)、ノーベル平和賞受賞(1974)。
田中角栄(1972–1974)
日中国交正常化(1972)、列島改造論。
三木武夫(1974–1976)
クリーン政治を掲げるも派閥抗争に苦しむ。
福田赳夫(1976–1978)
日中平和友好条約(1978)。
大平正芳(1978–1980)
増税問題で支持低迷、在任中に急逝。

1980年代(安定成長・バブルへの道)

鈴木善幸(1980–1982)
財政再建を掲げるが「和の政治」で知られる。
中曽根康弘(1982–1987)
国鉄分割民営化、防衛費増、日米関係強化。長期政権。
竹下登(1987–1989)
消費税導入(1989)、リクルート事件。プラザ合意後の円高不況対応。
宇野宗佑(1989)
スキャンダルで短命。
海部俊樹(1989–1991)
冷戦終結期に対応。湾岸戦争時の日本の国際的役割が問われた。

1990年代(バブル崩壊と政界再編)

宮澤喜一(1991–1993)
バブル崩壊後の金融対応。
細川護煕(1993–1994)
非自民連立政権。55年体制崩壊。
羽田孜(1994)
短命政権。
村山富市(1994–1996)
自社さ連立。「戦後50年談話」を発表。
橋本龍太郎(1996–1998)
金融ビッグバン、アジア通貨危機対応。
小渕恵三(1998–2000)
「IT革命」を提唱するも急逝。

2000年代(グローバル化と政治の混乱)

森喜朗(2000–2001)
失言で批判多し。
小泉純一郎(2001–2006)
郵政民営化、北朝鮮電撃訪問。国際的にも強い存在感。
安倍晋三(第一次)(2006–2007)
教育改革、防衛省昇格。体調不良で辞任。
福田康夫(2007–2008)
洞爺湖サミット開催。
麻生太郎(2008–2009)
リーマンショック対応。

2010年代(民主党政権からアベノミクスへ)

鳩山由紀夫(2009–2010)
普天間基地問題で迷走。
菅直人(2010–2011)
東日本大震災・福島第一原発事故に直面。
野田佳彦(2011–2012)
消費税増税を決定。
安倍晋三(第二次)(2012–2020)
アベノミクス、集団的自衛権、長期政権。

2020年代(ポスト安倍の模索)

菅義偉(2020–2021)
コロナ対策、東京五輪開催。
岸田文雄(2021–現在 2025年時点)
「新しい資本主義」、防衛費増額。

まとめ

1970年からの日本の宰相を眺めると、
1970年代:外交の転換点(沖縄返還・日中国交正常化)。
1980年代:経済成長と国際協調(プラザ合意・バブル形成)。
1990年代:政治の流動化と低成長(非自民連立、金融危機)。
2000年代以降:グローバル化と国内停滞のはざまで。

と、大きな流れが見えてきます。


【新国際学会周遊記──科学と特許の行方】

【新国際学会周遊記──科学と特許の行方】

もう10年近く前でしょうか。

ロスエンジェルス空港のビジネスラウンジで、ノーベル賞受賞者の青色発光ダイオードの中村修二教授と偶然お会いしました。

その前の月の松山で開催された日本美容外科学会のランチョンセミナーで、ちょうど前後の招待講演でご一緒したのです。

しばらくお話しさせていただき、日米の医学と工学のビジネスの展開の違いについて色々ディスカッションさせていただきました。

発明や創業に価値を見出し、巨額な出資が集まるのは米国の魅力です。

つい先日も搭乗口で手にした航空券の端に印字された小さな白黒模様──QRコードをぼんやり眺めながら、僕は考え込みました。

「この技術、もし発明者が特許を握りしめ、使用料を取る道を選んでいたら、今のように世界中で普及していただろうか?」

そして頭の中に浮かんできたのは、“億万長者にはならなかったが、人類を豊かにした科学者たち”の物語でした。

工学は規格で広がる

◆QRコードの選択

QRコードを開発した原昌宏氏は、特許を取ったにもかかわらず、使用料を取らないという選択をしました。

1件ごとにライセンス料を取っていたら、飛行機の搭乗券も、レストランのメニューも、ここまでスムーズには広まらなかったはずです。

特許という“囲い”を外すことで、QRコードは一気に世界中に広がり、スマホ社会の入口を開いたのです。

◆WWWの自由

同じことが、1989年に生まれたワールド・ワイド・ウェブにも言えます。

ティム・バーナーズ=リーがもし特許を独占して有料化していたら、インターネットは学術機関や一部の企業の中だけに閉じ込められていたでしょう。

しかし彼は「世界の共通言語」とする道を選び、私たちは誰もがウェブにアクセスできるようになりました。

◆Bluetoothの標準化

Bluetoothもまた、エリクソンが単独で握りしめるのではなく、業界全体で標準化することで広まりました。

そのおかげで、スマホ、イヤホン、医療機器まで、あらゆる機械が“つながる”時代が生まれたのです。

工学の発明は、規格化されることで爆発的に普及し、社会を形づくる力を持ちます。

富を超え、便利を共有することで文明が成り立つ──それが工学の宿命なのかもしれません。

◆医学は共有で命を救う

工学の対極にあるのが医学です。

◆ポリオワクチンと太陽の比喩

1950年代、恐ろしい感染症だったポリオ。

ワクチンを開発したジョナス・ソーク博士は、テレビで「特許は?」と問われ、
「太陽に特許をかけられますか?」と答えました。

その瞬間、ワクチンは“人類の共有財産”になりました。

その結果、世界中でポリオは激減し、数えきれない命が救われたのです。

◆インスリンの1ドル特許

1921年に発見されたインスリンも同じです。

研究者たちは特許を大学に1ドルで譲渡し、「これは人類の薬だから」と宣言しました。

この姿勢があったからこそ、糖尿病は「不治の病」から「コントロールできる病気」へと変わっていったのです。

医学においては、特許で囲い込むよりも、共有されることこそが最大の力になります。

工学が「規格化」で富を生むなら、医学は「共有」で命を救う──それが二つの学問の大きな違いです。

◆医学が特許になりにくい理由

なぜ医学は特許になりにくいのか?

①第一に、医学研究の多くは「自然に存在する仕組み」を見つけ出すものだからです。

インスリンやDNAは人間が作ったのではなく、自然の中に元から存在していたもの。

発見はできても、それを独占することは許されません。

➁第二に、倫理の問題です。

命に関わるものを独占すれば、「持てる者と持たざる者」の線引きが命の存否を決めてしまう。

だからこそ、医学は「人類の共有財産」であるべきだという強い倫理観が働きます。

➂第三に、医療は再現性が必要です。

誰が行っても同じ結果が出なければ意味がありません。

そのため、手術法や診断法は特許にはならず、学会のガイドラインとして共有されるのです。

◆現代の境界線

ところが21世紀の今、この境界は揺らいでいます。

ゲノム編集のCRISPR技術は「人類を救う」と言われた一方で、大学や研究所間で激しい特許争いが起きました。

コロナ禍で世界を救ったmRNAワクチンも、背後には数千件の特許が絡み合っています。

AIによる診断技術も、アルゴリズムは特許化できるのに、診断法は特許にならないという矛盾に直面しています。

「人類共有の財産」と「巨大な市場」──この二つがぶつかり合う場所に、現代の科学は立たされているのです。

結びに

工学は規格化して便利を広げ、
医学は共有されて命を救う。

そして現代は、その両者が重なり合い、富と公共性がせめぎ合う時代へと進んでいます。

飛行機の窓から街の灯りを見下ろしながら、僕は思いました。

「科学の本当の価値は、特許の有無や巨額な権利金ではなく、それがどれだけ人類を幸せにするかで測られるのではないか」と。


【新国際学会周遊記──レスベラトロールと栄養の交響曲】

【新国際学会周遊記──レスベラトロールと栄養の交響曲】

一杯の赤ワインから

「昨日テレビで観たのですが、レスベラトロールはサプリにして飲んでも意味がないんですか?」

と質問を受けました。

レスベラトロールは確かに赤ワインに含まれる抗酸化物質ですが、それ単体を錠剤にしても十分な効果が得られにくい。という学説があります。

なぜか?

答えはシンプルで、人間の身体は 「交響曲」 のような複合的な調和に反応するからです。

◆単音のソロ=サプリメントの限界

サプリメントは、単一の成分を抽出して定量的に摂取できるというメリットがあります。

レスベラトロール、ビタミンC、カテキン……どれも一見すると「健康成分の主役」です。

しかし、体内に入った瞬間に代謝が速すぎて作用時間が短い、あるいは単体ではシグナル経路が十分に活性化しない。

つまりソロ演奏のように、音色は美しいが、厚みや深みが足りないのです。

◆オーケストラ=食品の複合効果

一方で、赤ワインや緑茶、味噌汁や納豆を食べるとき、そこに含まれるのは一成分だけではありません。

赤ワインなら、レスベラトロールだけでなくアントシアニンやカテキン、タンニン。

ちょうど連休中飲んだ赤ワインに酒石酸(しゅせきさん、Tartaric acid)が入っていたので、実体顕微鏡で観ていたのです。

酒石酸はブドウなどの果物に含まれる有機酸の一種で、ワインの酸味成分としても知られています。

特にブドウに多く含まれ、ワインの酸味の骨格を形成する重要な成分ですが、これもまさに複合成分ですね。

緑茶なら、カテキンだけでなくテアニンやカフェイン。

納豆なら、ビタミンK2だけでなくイソフラボン、ナットウキナーゼ、発酵由来ペプチド。

それぞれが役割を分担し、互いに補い合いながら「相乗効果」を生み出す。これこそが「栄養の交響曲」です。

◆伝統食に見る調和の哲学

日本の伝統食は、まさにこの交響的構造を長い歴史の中で築き上げてきました。

味噌汁は大豆ペプチドと麹菌、発酵生成物が調和する発酵のシンフォニー。

海藻はミネラルと食物繊維が絡み合い、腸内フローラにまで響く低音楽器。

漬物は乳酸菌が奏でる即興演奏のように、土地ごとのバリエーションを生みます。

いずれも単一の栄養素を超えた「複合的な健康効果」があり、それを文化として取り込んできたことが、日本人の長寿を支えたのです。

◆科学と文化の二重奏

レスベラトロールの研究が教えてくれたのは、科学が「単音」を切り出しても、本当の音楽は「和音」に宿るという事実でした。

科学は音符を解析する。

文化は旋律を生み出す。

そして私たちの身体は、その二つが重なったときに最も美しく響きます。

◆生命は交響曲である

私たちが求めるべきは、「万能成分」を探すことではなく、「複合のハーモニー」を食卓に響かせること。

赤ワインの一杯に、レスベラトロールだけでなく人間の歴史や文化が溶け込んでいるように。

味噌汁一椀に、大豆と麹と乳酸菌の共同演奏が鳴り響いているように。

生命は常に、ソロではなく交響曲で鳴っている。

──その真理を、レスベラトロールの小さな分子は、私たちに静かに教えているのです。


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