【新国際学会周遊記──海と陸、四つの仏像】
仏像はどこから来たのか
仏像はインドの地で誕生しました。
アレクサンドロス大王の東征がもたらしたヘレニズム文化の風が、ガンダーラの地に届き、ギリシャ彫刻の写実性を纏った「初めての仏像」が姿を現します。
それは人々に「仏を象徴ではなく、人の姿として拝む」という新しい信仰のかたちを与えました。
やがて仏像はシルクロードを東に進み、中国・朝鮮を経て日本へ。
陸からの公式ルートと、海からの交易ルートという二つの道を通りながら、日本の地に根づいていったのです。

①四つの仏像が語る宇宙観
日本の寺に入ると、仏像は大きく四つの役割に分けられています。
如来(にょらい):悟りを完成した存在。飾り気なく質素で、内なる静けさを示します。円覚寺の釈迦如来像はまさにその典型。
菩薩(ぼさつ):衆生を救うため修行を続ける存在。宝冠や装飾をまとい、人と如来を結ぶ架け橋となります。観音菩薩、地蔵菩薩がよく知られています。
明王(みょうおう):怒りの相で煩悩を打ち砕く守護神。密教的要素が強く、不動明王の炎に包まれた姿が代表です。
天(てん):インドの神々が仏教に取り込まれた守護者。四天王や毘沙門天など、武装した姿で寺院を護ります。
この「如来・菩薩・明王・天」の四分類は、悟り・慈悲・力・守護という仏教宇宙の秩序を可視化しているのです。
②海と陸の仏像伝来
陸からの仏像
百済から伝わった飛鳥大仏や法隆寺の釈迦三尊像。
正面性が強く、硬質で荘重。国家的・権威的な仏像でした。
海からの仏像
九州・須玖岡本遺跡などで出土した金銅仏。
柔和な表情と流れる衣文を持ち、交易や在地信仰とともに伝来しました。
つまり、日本仏像の始まりは、如来像や菩薩像として「国家の祈り」と「民間の祈り」が同時に立ち上がった瞬間でもあったのです。
③ヘレニズムの影と日本の昇華
ガンダーラの仏像は、波打つ髪や衣のドレープにギリシャ彫刻の影響を残しています。
中国・朝鮮を経て日本に届く頃には、写実性は薄れ、精神性が強調されていました。
そして鎌倉時代の禅宗寺院──円覚寺に至ると、仏像は装飾を削ぎ落とし、質素を極める姿となります。
ここで示されるのは、如来像が持つ「飾らぬ悟り」の徹底です。庭園の精緻な美と、仏像の質素が、禅の美学を二重奏のように奏でているのです。
④融合する四分類と伝来の道
日本の仏像史を俯瞰すれば、
陸から来た仏像=如来や菩薩に象徴される公式・国家的な仏教。
海から来た仏像=天や小型菩薩に象徴される民間的な祈り。
密教の導入により明王像が加わり、力強い守護の相が広がる。
こうして「如来・菩薩・明王・天」という四つの位相が、海と陸の流れを背景に日本の大地に展開していったのです。
仏像の旅路は、ギリシャ彫刻のリアリズムに始まり、ガンダーラで仏の姿を得、中国で理想化され、朝鮮・海のシルクロードを経て日本に届きました。
そこには「ヘレニズムの残響」と「禅の静寂」が同居しています。
数千年の文化の旅路が、一体の仏像の前に凝縮されている──そのことに気づいたとき、仏像はもはや単なる造形物ではなく、文明の交響そのものとなるのです。













