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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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医師仲間と箱根仙石原でゴルフ

連休最終日は箱根の仙石原のススキを観ながらゴルフへ。

2025年の十五夜(中秋の名月)は 10月6日なのだそうです。

ゴルフ友達はたくさんいますが、昨日は4人全員医師免許持ってました。最近は経営者と回ることが多いので珍しいですね。

ゴルフはなぜかテンポが合わず、アイアンのスイングプレーンがインサイドから入らず。そこには気づいていたのですが、自分なりに調整できたのが終了間際の15ホール目でした。

アマチュアだなあ。

ゴルフは「わかった」といってしまうと、ゴルフの神様に怒られてしまうので、これからも精進します。


【新国際学会周遊記──ワクチンという秩序と混沌】

新国際学会周遊記──ワクチンという秩序と混沌

人類が歩んできた歴史の中で、感染症ほど文明の存亡を左右したものはない。ペストがヨーロッパ人口の半分を奪い、スペインかぜが世界の秩序を一変させたことは記憶に新しい。そうした「見えない敵」との闘争において、ワクチンは一種の希望の光として登場した。
だが、この光は常に純白ではない。秩序を取り戻すはずのワクチンが、逆に新しい混沌を呼び込むこともあるからだ。

◆天然痘根絶という「勝利の物語」

1980年、WHOは天然痘の根絶を宣言した。種痘ワクチンの徹底した接種が功を奏し、歴史上初めて人類は「ある病を完全に滅ぼす」ことに成功した。この出来事はワクチンの可能性を最も雄弁に物語る。
しかし同時に、天然痘根絶の達成が「ワクチン万能」という幻想を強化した。以後、あらゆる感染症をワクチンで制圧できるという楽観が広がり、しばしば過剰な期待と失望を生むことになる。

◆成功と失敗のはざま

たとえば ポリオ。米国では1950年代に年間2万人以上が麻痺を起こしていたが、ワクチン導入後に患者数は激減し、1979年以降は自然発生例が消えた。まさに公衆衛生の勝利だった。
だが一方で「ワクチン由来株ポリオ(VDPV)」という副作用が現れた。秩序を取り戻そうと打った針が、新たな混沌をもたらす。この二重性はワクチンの宿命ともいえる。
BCGも同様だ。インドで行われた大規模試験では成人肺結核に効果がないと結論された。だが乳幼児の結核性髄膜炎を防ぐ効果は確認されており、今も結核多発国では重宝されている。

◆日本で語られる「効かないワクチン」

日本ではインフルエンザワクチンをめぐる議論が象徴的だ。前橋医師会が行った集団接種中止後の疫学調査(1970年代)は、発症率に差がないと報告し、ワクチン無効論の根拠として長く引用されてきた。
その後のLancet 誌に掲載された国際的研究では、高齢者や基礎疾患を持つ人において 入院・死亡リスクを減らす ことが繰り返し示されている。

◆HPVワクチンの「炎上」

近年もっとも社会的な議論を呼んだのが HPVワクチン だ。確かに接種後の副反応をめぐる訴訟やメディア報道が人々の不安を煽った。だが医学的には、HPV16・18型が子宮頸がんの70%を引き起こすことが確立され、ワクチンによる前がん病変の減少も証明されている。
ただし、冷静に考えると、国際誌に掲載された論文であっも統計によって製薬会社の意図が組み込まれることもあるとは思う。
「効かない」と「危険」の境界線は、医学的事実と社会的感情の狭間で揺れ動く。

◆ワクチンの功罪をどう捉えるか

結局のところ、ワクチンは 人類が作り出した秩序装置 である。感染症というカオスに対抗するために、一定の確率で防御の網を張る。だがその網には必ず穴があり、副作用や限界がつきまとう。
ちなみに自分の考えを述べると、生死に関わる病気であればワクチンは必要だと思うが、自己免疫で治せる範囲であれば、必要ないと考えている。医師になってから30年間以上、一度もインフルエンザワクチンは打っていないし、mRNAワクチンは、当時1000報以上の論文を読み自らもコロナ治療法の提案の英文論文を書いた経験上、自分の理解では、安全性の確認がされていなかってので、善意の加害者になる可能性も考慮して、クリニックでは打たない選択をしたし、身の回りの人にも打たせなかった。
公衆衛生的にはワクチンを打つことで感染の流行を減らせるかもしれないが、未知のウイルスに対して自己免疫で対抗する自浄能力を低下させる可能性もあるとは思う。

 

私たちに求められているのは「効く/効かない」という二項対立を超え、
どの集団に、
どの程度のメリットがあるのか
どのようなリスクを受け入れるのか

を冷静に秤にかける姿勢だろう。

ワクチンは、白か黒かではなく、常に「秩序と混沌のあわい」に存在しているのだから。


【新国際学会周遊記──がん免疫という日常の秩序】

新国際学会周遊記──がん免疫という日常の秩序

人間の体を旅に例えると、それは驚くほど巨大な都市に似ている。37兆という膨大な数の細胞が、絶え間なく生まれ変わりながら役割を果たす。骨も血も皮膚も、今日つくられては明日消えていく。存在とは「固定された器」ではなく、常に組み直される流動的な構造物にすぎない。

だがその都市の中で、必ず秩序を乱す芽──がん細胞──が生まれる。5000から1万個ほどが毎日発生すると推測されている。もともとは仲間であり、同じDNAを持つ細胞。しかし複製の誤りが重なれば、逸脱者として「都市の秩序」に背を向ける。

この反乱に対し、私たちには内なる監視機構がある。「がん免疫監視」と呼ばれる仕組みだ。NK細胞をはじめとする免疫の警備隊が絶えず巡回し、不正を働く細胞を即座に処分する。まさに治安維持そのもの。

しかしこの警備隊も老いとともに衰える。ストレスや不眠、過労で士気が落ちれば、監視の目が鈍り、小さな反乱が広がっていく。これががんの始まりである。

興味深いのは、この免疫の活力を支えるのが、きわめて人間的な営みであることだ。よく笑い、よく泣き、声を出して歌い、深く眠り、湯に浸かって緊張を解きほぐす。

無理に八方美人的な「いい人」を演じて感情を押し殺さないこともまた大切だ。がん免疫とは、決して病院の壁の中だけにあるのではなく、私たちの生活習慣に根づいている。

◆免疫チェックポイント阻害薬という「足枷を外す治療」

現代医学は、がんに対して、手術療法、抗がん剤、放射線治療を提案してきたが、この自然の防衛力を改めて見直し、第四の革新的な治療を生み出した。その代表が免疫チェックポイント阻害薬である。
がん細胞はずる賢い。自らを「正常な細胞」と偽装し、免疫の攻撃をかわす。その抜け道が免疫チェックポイントだ。つまり、免疫のブレーキを利用して身を守っているのである。
阻害薬はこのブレーキを解除し、眠っていた免疫を呼び覚ます。抗PD-1抗体(ニボルマブ、ペムブロリズマブ)、抗PD-L1抗体(アテゾリズマブ)などは、がん種によって異なるが20〜40%の患者で奏効が得られ、メラノーマや一部の肺がんでは長期生存を可能にした。
とりわけ特筆すべきは、「長期生存の尾」が生まれたことだ。従来の化学療法では望めなかった“治癒に近い”状態に入る患者が一定数出てきた。

◆希望の光と課題の影

しかし、チェックポイント阻害薬は「万人に効く魔法の弾丸」ではない。有効率は全体の20〜30%前後にとどまり、未だ大多数の患者には恩恵がない。バイオマーカーの限界により「誰に効くか」はまだ完全に予測できない。免疫関連有害事象(irAEs)として、甲状腺炎、大腸炎、肺炎、肝炎など自己免疫疾患に似た副作用が起こり、時に致命的になる。
さらに完治ではなく延命としてのコストは年間数百万円〜1千万円と極めて高額で、医療経済を圧迫する。
耐性化により、最初は効いても再びがんが免疫逃避を獲得し、再増悪することもある。
このように、チェックポイント阻害薬は「希望の光」を照らす一方で、「課題の影」を背負っている。

◆結語──生き方としての免疫

結局のところ、がん免疫とは特殊な戦場ではなく、日常の暮らしと地続きにある。笑い、泣き、歌い、眠り、湯に浸かり、ストレスから自分を解き放つ。その一つ一つが免疫を養い、がんの芽を摘んでいる。
免疫チェックポイント阻害薬が示したのは、外部からの介入が万能なのではなく、本来の免疫が持つ底知れぬ力である。薬はあくまで「眠っていた力を呼び覚ます道具」にすぎない。
免疫を語ることはすなわち生き方を語ることである。がんとの戦いは、「人間らしく生きることの証明」そのものなのだ。


真面目と誠実はどこが違うか?

真面目と誠実はどこが違うか?

「社会が求める正しさ(真面目)」   「人が信頼を寄せる正しさ(誠実)」

真面目は“形式的な正しさ”   誠実は“心の正しさ”

真面目=行動・形式面の基準   誠実=内面・倫理面の基準

なかなか難しい。


【新国際学会周遊記──日本医療のパラドックスと2040年の行方】

新国際学会周遊記──日本医療のパラドックスと2040年の行方

医療政策を語るとき、必ず浮かび上がる三つの要素があります。コスト(費用)、アクセス(受療しやすさ)、クオリティ(質)。この三つを同時に満たす「理想の医療制度」は、残念ながらどの国にも存在しません。

なぜなら、一つを充実させれば必ず他のどれかにしわ寄せが生じるからです。低コストを追えば質が下がり、質を高めれば費用がかさむ。アクセスを広げれば、医師や病院に過重な負担がのしかかる。いわば“三角形のジレンマ”は医療システムにおける普遍の法則なのです。

例を挙げると米国はコストを犠牲にして、お金さえ払えば、アクセス良くクオリティの高い医療を受ける事ができました。サッチャー政権下のイギリスは、医療費を削減したがためにアクセスが低下して、がんの手術待ちの期間が一年を超えるような状況になりました。

この観点から見ると、日本の医療は非常にユニークな位置にあります。世界最長の平均寿命を誇りながらも、医療費はGDP比で欧米並みに膨張し、病院の待合室はいつも混雑している──その姿は「長寿の成功」と「制度疲労」の同居にほかなりません。

◆健診のビジネス化

日本では人間ドックや健診センターが林立し、健康診断は「安心を買う消費行動」となっています。必要以上に細分化された検査やオプションは個人の不安を巧みに取り込み、巨大な市場を形成しました。
欧州では公的制度が最低限の検診をカバーし、米国でも保険者が費用対効果で検査範囲を制御します。対照的に、日本は「検査そのもの」が産業化し、健康不安を経済へと変換しているのです。
これが実際の病気を抑制しているならともかく、世界で最も健診を行っている日本では、先進国で唯一癌による死亡率が増加している事実はきちんと検証すべきだと思います。老衰時に幾つかのがんを持って亡くなる人はたくさんいます。

◆フリーアクセスの功罪

紹介状がなくても誰でも大病院にかかれる。これは日本の誇る「自由」として評価される一方、軽い風邪や頭痛の患者までもが大学病院の外来に押し寄せ、本来重症患者を診るべき医師の労働を圧迫します。
結果として「待ち時間三時間、診察五分」という非効率が生まれるのです。欧州ではGP(家庭医)がゲートキーパーとして機能し、米国でも保険制度が受診経路を管理します。世界がプライマリケア重視へ移行する中、日本は病院集中型を続ける稀有な国です。

◆薬剤消費の異常な多さ

人口のわずか2%しかいない日本が、世界の薬の3〜4割を消費しています。
高齢化と多剤併用が背景にあるとはいえ、感冒薬や抗菌薬といった「本来セルフケアで済む」領域まで過剰に処方されるのが現実です。薬をもらうこと自体が「安心の儀式」として根付いてしまい、薬剤費は年間6兆円規模に膨れ上がりました。
欧州では風邪は家庭で休養が常識で、米国でも抗菌薬の乱用はガイドラインで厳格に制御されています。日本は「薬を出すこと=医療行為」という文化が根強く、消費量の突出につながっているのです。

◆結び──「不安を癒す社会装置」としての医療

こうして並べると、日本の医療は病気を治す仕組みというより、「国民の不安を鎮める社会装置」として機能していることが見えてきます。健診は健康不安を市場に転換し、フリーアクセスは安心を保証する制度となり、薬は日常不安を和らげる象徴となったのです。
コスト・アクセス・クオリティの三角形を完全に満たすことは不可能ですが、日本は「安心の最大化」という独自の戦略を選んだともいえるでしょう。その果実が「世界一の長寿」であると同時に、その負担が「制度疲労」として現れている──これこそが、日本医療のパラドックスなのです。

◎2040年への展望──次の医療モデルは?

では、このパラドックスは未来にどう展開するのでしょうか。2040年、日本の高齢化率は約35%に達し、医療費は今よりさらに膨張することが予測されています。そのとき必要とされるのは、次の三つの転換です。

▪病院中心から地域・在宅中心へ

入院ベッドを減らし、訪問診療・在宅看護・地域包括ケアを軸にシフトする。

▪薬から予防・データヘルスへ

ポリファーマシーの抑制と同時に、ゲノム解析・AIによる予測医療を導入し、「出す医療」から「予防する医療」へ。

▪フリーアクセスから“安心の設計”へ

病院の自由受診を制限するのではなく、デジタル診療・遠隔医療を組み合わせ、「患者の安心」を担保しつつ効率的な受診経路を設計する。
個人的な意見を言えば、単に命を維持するだけの高額医療費と、風邪などの軽い症状での受診をやめるだけで、多くの医療費が削減されます。
今の医療制度では、患者さんが亡くなる半年の間に3000万円もの金額が使われてしまうこともある様です。平均寿命を超えたのちには、健診を辞める。または欧州の幾つかの国の様に社会保険の支給を辞める。
一方で小児医療や少子化対策、不妊治療などに予算を大きく振り分ける。こうした判断も必要ですよね。

▪最後に──問いかけと提言

「医療は病を治すためだけにあるのか。それとも国民の不安を癒すためにあるのか。」
日本の医療は長寿という果実を得る一方で、制度疲労という副作用に直面しています。2040年を見据えるならば、私たちは“安心”という文化的価値をどう維持し、どう再設計するのかを考えなければなりません。
提言するならば──「安心の最大化」から「健康寿命の最大化」へ。これが次の日本医療モデルへの道筋でしょう。


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