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【新国際学会周遊記──森林浴は科学と宗教を架橋する】

新国際学会周遊記──森林浴は科学と宗教を架橋する

人はなぜ森に入ると癒されるのか。
この問いは、医学や心理学の領域を超え、宗教哲学にまで広がる奥行きを持っています。

1980年代、日本の林野庁が「森林浴」という言葉を提唱して以降、科学的研究が進められました。単なる文学的表現ではなく、実際に自律神経や免疫系に影響を及ぼすことが証明されているのです。

◆科学が語る森の効能
東京の喧騒の中で生きる私たちは、どうしても交感神経が優位になりがちです。常に「戦うか、逃げるか」の緊張状態。ところが、森に一歩足を踏み入れると、鳥の声、風に揺れる枝葉、木漏れ日の光が五感を優しく刺激し、副交感神経が優位に切り替わります。心拍数は落ち、呼吸は深く、血圧も安定してくるのです。
さらに注目すべきは、木々が発散する「フィトンチッド」と呼ばれる揮発性物質。これが自然殺傷細胞(NK細胞)を活性化させ、免疫力を高めることが知られています。面白いことに、その効果は数日間持続するという報告もあります。
脳科学の研究でも同様です。森林風景を見ると脳波のα波が増加し、前頭前野の過剰な活動が抑えられる。抑うつや不安を軽減する方向に働くのです。

◆仏教が語る森の癒し
しかし、科学の言葉だけでは語り尽くせない側面もあります。森は「無常」と「空」の象徴です。
常に変化し続ける木々の葉、二度と同じではない鳥の鳴き声。その移ろいを目にすることは、まさに「今ここ」に心を留める正念の実践そのもの。
仏典には、ブッダが菩提樹の下で悟りを開いた逸話があります。森は単なる背景ではなく、人間存在を揺り動かす「場」であったのです。私たちが森に癒されるのは、身体が休まるだけでなく、人間本来の「自然との一体感」を取り戻すからなのかもしれません。

◆森林浴は架橋する
こうして眺めると、森林浴は単なる健康法を超えています。
副交感神経の鎮静効果、免疫の強化、脳のリラクゼーション──これは科学の言葉。
一方で、無常を感じ、空を悟り、正念を体感する──これは宗教の言葉。
二つの言語が重なり合うところに、私たちが「森に癒される理由」が浮かび上がってきます。

結びに
森は科学と宗教を架橋する場所です。
そこに足を踏み入れるとき、私たちは血圧や心拍を整えながら、同時に存在の根源に触れる。
医学者にとっても僧侶にとっても、そして一人の人間にとっても、これほど豊かな「癒しの場」は他にないのかもしれません。

 


【新国際学会周遊記──昭和100年史、白熱の夜】

新国際学会周遊記──昭和100年史、白熱の夜

今日も昭和百年史の会合でした。対象は1975年から1995年まで。石油ショックからプラザ合意、バブルの精算と55年体制の終焉。さらに阪神大震災と東京サリン事件で、日本の安全保証に陰りが見えるまで。

議論が白熱し、気がつけば夜中12時近く。最後まで参加された皆様、本当にお疲れ様でした。

今回も前半は私が、後半は加賀社長にご講演をいただき、異なる視点から歴史を学ぶ時間となりました。人の歴史理解に耳を傾け、それをディスカッションによって「共有知」へと昇華させる──まさに歴史の本懐に触れる営みであったと感じます。

私自身も、まだまだ学ばなければならないことの多さを痛感する夜でした。

次回予告──1995年から2025年へ

次回は1995年から一気に2025年までを扱い、この「昭和100年史」をいったん年内で完結させる予定です。時代はバブル崩壊後の平成不況、IT革命、9.11、リーマンショック、そしてパンデミックと続き、日本と世界の構造変動を一気に振り返る濃密な時間となるでしょう。

開催は11月上旬を予定しています。

外伝への構想──幕末から昭和へ

ただし、昭和を理解するには、それ以前の時代を深く知る必要があります。幕末から明治維新、そして明治から大正へ──。この連続性を踏まえたうえで昭和を位置づけることが不可欠です。

来年以降は「昭和100年史 外伝」として、幕末から近代日本の形成を学ぶ場を設けたいと考えています。

終わりに

「歴史を知ることは未来を知ること」。そう信じて議論を重ねてきました。

次回もまた、皆様とともに熱い学びの時間を共有できることを楽しみにしています。


椰子と富士

【新国際学会周遊記──椰子と富士】

美しい瞬間に思わず立ち止まる瞬間というものがあります。

ここ湘南・江ノ島の夕暮れも、その一つでした。

空が茜色から群青へと移ろうとするその時、シルエットとなって浮かび上がるのは富士の山影。

その手前に整然と並ぶ椰子の木は、南国を思わせる異国の姿をしていながら、どこか不思議と日本の夕景に溶け込んでいる。

ヤシと富士。この取り合わせは、本来ならば出会うことのないはずの象徴です。

しかし、湘南という舞台においては、それが一枚の絵画のように調和する。

リゾートの軽やかさと、霊峰の荘厳さが、一つの風景に共存しているのです。

その交差を見つめながら、ふと一句。

椰子越えて 富士のシルエット 秋の暮れ

夕陽に照らされた人々のざわめきと、彼方に聳える静けさ。

まるで「動」と「静」のあいだにこそ、人生の美は宿るのだと語りかけてくるようでした。


【新国際学会周遊記──皆既月食の文化と科学】

赤い月が現れるとき、人類は科学と神話を同時に見てきた

【新国際学会周遊記──皆既月食の文化と科学】

昨晩は皆既月食でしたね。遅い時間だったので、寝てしまいましたが、写真は僕が撮った2022年11月8日の月食のものです。ちょうどこの日は天王星も食を迎えた時で、完全に月食となった時、天王星が小さく見えますね。
月食は日食と違って目を覆う必要はなく、世界中どこからでも静かに観察できる。だからこそ古代から現代まで、人々はその赤い月を畏れ、そして詩的に眺め続けてきました。

◆科学が語る皆既月食

皆既月食とは、太陽・地球・月が一直線に並び、月が地球の影の「本影」に完全に入るときに起こります。光を失った月は一見すると消えてしまうように見えますが、実際には地球の大気を経由して届いた赤い光に照らされ、暗赤色に輝きます。いわゆる「ブラッドムーン」です。
この現象は、地球の大気が光を屈折させ、青い短波長の光が散乱して失われ、赤い長波長の光だけが月に届くために起こります。

◆神話と伝説が語る皆既月食
古代メソポタミアでは月食は王の死の前兆とされ、宮廷占星術師は食の周期を「サロス周期」(約18年11日)として計算しました。
中国では「天狗が月を食う」と語られ、日本でも平安期の陰陽師が吉凶を占う材料としました。赤い月は恐怖の象徴であると同時に、神話的な想像力をかき立てる存在だったのです。

◆現代科学が引き出す新たな意義
現代の研究では、皆既月食を「地球の大気観測」に応用しています。月食時に月に届く光は、地球大気を通過したフィルターを経た光です。そのスペクトルを分析すると、二酸化炭素やオゾン層の状態を測定できることが分かってきました。
さらに、この手法は系外惑星の大気解析のモデルケースともなっており、赤い月は「地球の縮図」を映す実験室でもあるのです。

◆皆既月食の観察という体験
肉眼でも十分に楽しめますが、双眼鏡で眺めると月面のクレーターが赤く染まる様子が見事です。写真に収めるなら三脚を用い、長時間露光で幻想的な月を切り取るのがおすすめです。SNSの時代には、同じ赤い月を見上げた人々が、国境を越えてリアルタイムに感動を共有できるようになりました。

◆結び──科学と神話のあいだ
赤い月が夜空に現れるとき、私たちは科学的な知識をもってその理屈を理解しながらも、同時に古代人と同じ「畏れ」と「詩情」を体験しているのではないでしょうか。
皆既月食は、単なる天体現象ではなく、科学と神話を同時に生きる人間の精神史そのものを映し出す鏡なのです。
次回の月食は2026年3月3日だそうですよ。


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