
こちらは聖ニコライ・ロシア教会です。
ロシアとブルガリアは同じ東方正教系ですが、同じ正教といっても宗派が違うため、建築スタイルは異なります。

エメラルドグリーンに金の尖塔が目立っています。すばらしい建築だと思いますが、これも20世紀に入ってからのもの。

内部を見ると、ブルガリア正教同様にイコノスタスが見えます。

イコンをお土産に売っている場所もありましたよ。
藤本幸弘オフィシャルブログ

こちらは聖ニコライ・ロシア教会です。
ロシアとブルガリアは同じ東方正教系ですが、同じ正教といっても宗派が違うため、建築スタイルは異なります。

エメラルドグリーンに金の尖塔が目立っています。すばらしい建築だと思いますが、これも20世紀に入ってからのもの。

内部を見ると、ブルガリア正教同様にイコノスタスが見えます。

イコンをお土産に売っている場所もありましたよ。
さて、夜の遅くにブルガリアの首都につきました。
ブルガリアといえばヨーグルトの生産国。そして、世界の香水や香料に使う薔薇の70%を作っているというバラ大国でもあります。

このブルガリアの首都ソフィアは、アドリア海と黒海を結ぶ交通の要所であったことから古くから交易が栄えました。民主化から20年近くが経過して、旧ソ連や共産党にかかわる建物や銅像が撤去され、2007年1月にはECに加入。
通貨の統合はまだですが、人々の意識も急速に変わってきているようです。

ソフィアはとても小さい街で、3時間もあれば歩いて完全に回りきってしまえます。
遠くには万年雪が見えますが、やはり季節が良いのか、新緑が映えますね。

ホテルが遠くだったので、街の中心まで歩いて30分ぐらいかかりましたが、見えてきたのは丸屋根が特徴的なブルガリア正教のネデリャ教会です。

僕は初めてブルガリア正教の教会を見ました。

ちょうどミサの最中だったようで、中では男性の聖歌隊の声が響き渡り、それが教会のドームによって反響し、すばらしい音楽空間となっています。
この正面奥に見える多くのイコンで飾られた壁は、「イコノスタス」と言うそうです。
これらは“聖壁”とも言われて、ブルガリア正教会を含む東方正教会系の教会にはなくてなならないものです。
この聖壁の奥にあるのがいわゆる天国を意味する「至聖所」。
写真をクリックしてもらえれば、中央の扉が開いているのがわかりますが、この壁から先が至聖所で、ミサのときには扉から、天国が見えるというわけです。
この場所は、聖職者でなければ入ることができません。

こちらはアレキサンダー・ネフスキー寺院 。5000人が収容できるブルガリア最大の、最も美しい寺院といわれているそうです。
黄金に輝くこの屋根は、かなり遠くからでも目視できます。

内部はこの様。素晴らしく大きなシャンデリアがありました。
ミサではなかったので、聖壁の中央の壁は閉じられています。
実はこれらのブルガリア正教の教会は、1398年からのオスマン朝トルコによる占領時代には、一切建てられなくなりました。
これらの教会は18世紀以後に建てられたものがほとんどです。
ところで今回のフライト、オーストリアの首都ウイーンから、ブルガリアの首都ソフィアまでのトランジットタイムが4時間もあったのです。
4時間もの時間をラウンジで過ごす・・・それはなんとももったいないように思えて、一度出国してみることにしました。確か2007年にウイーンで行われたヨーロッパ皮膚科学会で寄ったときは、ウイーンの空港から市内へは、そんなに時間がかからなかったはず…。

どのアクセスで市内に行ったものかと空港をうろうろしていると、地下にウィーン市内へ直行の特急電車があるというではないですか。
しかも往復16ユーロで所要時間は20分ほどだとか。

使わない手はないと思い、花の都ウイーンまで足を伸ばしました。
ウイーンののどかな田園地帯を越えてゆくと、すぐにウィーンの中心街へ。

街を歩くと、公園を見つけました。

平日の昼間、皆のどかに過ごしていますね。

僕は川辺のこんな店で軽食とお茶を楽しむことにしました。

日本時間ではちょうど真夜中にあたるこの時間。時差ボケ解消にも良かったです。

このとき頼んだチーズの盛り合わせ。
これが本当においしくて、感動しました。もしかしたらこのブルガリア・ルーマニアの学会の旅で一番おいしかったかも…。

ともかくも、定刻までには空港に戻ることができて、有意義にトランジット時間を過ごせました。
小さな飛行機に、タラップで乗り込むときには、オーストリアの夜8時頃。綺麗な夕焼けが見えました。
でも、日本時間で考えると真夜中の3時。さすがにちょっと眠かったな。
春の学会シーズンはまだまだ続きます。

ワシントンDCから帰国してちょうど一週間後、ルーマニアで行われたヨーロッパ皮膚科性病科学会(EADV)の春季学会で演題を発表することになりました。
2005年にポーランドでレーザー治療の招待講演をさせて頂いて以来の東欧です。
ルーマニアは、Romania(ローマ人の住む土地)という名前の通り、東欧で唯一ラテン系民族の国です。
もともとラテン系の民族がローマ帝国の拡大とともに移住し、この地に住むダキア人と混血し、ルーマニア人の祖先になったといわれています。
南のワラキア、北西のトランシルバニア、北東のモルドバというもともと三つの国に分かれていたのですが、オスマン朝トルコを中心とした数多い異民族・宗教の流入で、複雑な文化が形成されました。
1881年にいったん王制を敷き、ルーマニア王国となりましたが、第二次世界大戦で、首都のブカレストがソビエトの赤軍に占領されます。
大戦後は、鉄のカーテン政策の下、東欧諸国の一員としてソビエト連邦の意向で共産党が支配権を握り、1965年より悪名高きチャウシェスクによる独裁政権が敷かれるのです。
89年のクリスマスにチャウシェスク夫妻が処刑されたのは記憶に新しいですね。この話は後のブログでも書きますね。

日本からルーマニアに直接入ることはできません。せっかくなので、ブルガリアの首都ソフィアを見学し、そこから鉄道でルーマニアのブカレストに入るルートをとることにしました。
航空会社はオーストリア航空を使いました。

ワシントンDCの国際空港ではさすがにお膝元だけあって、オバマ大統領のグッズが充実していました(笑)。

世界総不況の中、アメリカの景気回復がいつになるかは、オバマ大統領とそのブレインたちにかかっているといえます。
Yes, we can!の実践が楽しみです。
ところで、今回のアメリカ滞在では、時差ぼけもあって、テレビを観る時間があったのですが、アメリカで最も人気あるテレビ番組の一つ「アメリカン・アイドル」を初めて観ました。
この番組、タレント発掘番組の一つなのですが、視聴者からの情報で集められた参加者をワンクール3ヶ月かけてテストし、ふるいにかけ、最後は視聴者投票により優勝者を選ぶというもの。
今年の予選参加者は10万人、毎週の電話による投票数は6400万票を数え、いまやアメリカの国民的行事として定着しているのです。最終候補者10人による夏の全米ツアーは毎年ソールドアウト、3人のファイナリストが出身州に凱旋すると州知事と大群衆が出迎え、アイドル候補者の誕生日を州の記念日に制定するぐらいの熱狂ぶり。優勝者は全米ネットワークのニュースや全国紙で伝えられるので、優勝の時点で、知名度は国民的レベル。優勝者にはタレントデビューが約束されています。
候補者の中には、素人目に見てもうまいとは言えないのに、本当に自信ありげに歌やダンスを踊る人あり、
パッとしないおじさんが、皆が感動する見事なアリアを歌ったり、
選考者とのやりとりに怒り出してしまったり、
超ポジティブシンキングで、ひとりひとり確固とした自負を持つアメリカ人の国民性がよくわかります。
このところ、英語を母国語に持たないアメリカ人が増えていますが、英語も平易なので、ノンネイティブの僕でもほとんどすべてが聞き取れます。そういったところも人気なのでしょう。

この日のUSA TODAYでも、こんなに大きな扱いでした。
この不況時における、数少ないアメリカン・ドリームをつかむ、一つの社会現象ということなのでしょうね。

帰国にはユナイテッド航空を使いました。
これで僕の 2009年の米国レーザー医学会(ASLMS)ワシントンDC出張の報告は終わりです。