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コペンハーゲン大学の教授と空港タクシーにて

コペンハーゲン大学の教授と空港タクシーにて

学会最終日。

学会の余韻を背負って乗り込んだ空港行きのタクシー。

長い列に並び、ようやく僕の順番が来たので乗り込もうと思ったら、空港に行くなら一緒に乗せて欲しいと同世代ぐらいの女性が乗り込んできた。

チェックアウトを終えて、トランクを持っていたから。

Why not?

タクシーに乗り込んだ時、自己紹介がてら話してみると、デンマークから来ていた代謝研究の教授だった。

名前も名刺も要らない、たった30分の同乗時間。

けれども、こういう時こそ、本音のような言葉がこぼれ落ちる。

「学会って、帰りの方が勉強になりますよね」

そんな僕の言葉に、教授はフロントガラスの向こうを見ながら微笑んだ。

話題は自然と、代謝とは何か、という根源的な問いへと移っていった。

「私たちは、“どう燃やすか”より、“なぜ燃やすか”に興味があるんです」

彼女の声は穏やかだったが、言葉には芯があった。

デンマークでは冬が長く、光の少ない日々が人のリズムに静かに影響を与える。

その中で育まれた彼の視点は、どこか詩的でありながら、科学の言葉を忘れていなかった。

「代謝って、単なるカロリーの計算じゃない。生きていく意味と、たぶん、少しの寂しさが混ざってる」

彼女はそんなふうに言った。

私は思わずタクシーの窓の外を見た。滑走路が見え始めていた。

研究も、人生も、何を選び、何を捨てるかの連続だ。時に“空腹”が教えてくれることの方が多い。

空港に着き、トランクを引き出すとき、教授はこう呟いた。

「また、どこかで。良い旅を!」

名前も肩書きも告げぬまま、彼女は人波に消えていった。

それが学会という旅の、いちばん贅沢な“おまけ”なのかもしれない。


「美味しさ」の再定義──ある経営者の自己実験

「美味しさ」の再定義──ある経営者の自己実験

経営者の友人が、食生活を大きく変えたという話を聞いた。

彼は、長年続けていた小麦粉、砂糖、植物性油を含む食品の摂取を、ある時期から一切やめたのだという。そして、その理由を次のように語っていた。

「“美味しい”という感覚は、本質的には中毒症状の一種ではないか。
“お腹が空いた”という感覚も、実は禁断症状に過ぎないのではないかと考えるようになった。」

この思いつきにも似た仮説を出発点に、彼は自らの身体を実験台とし、食事内容を抜本的に見直した。

彼が避けたのは、いずれも現代の加工食品に多用され、食欲や快楽中枢を強く刺激するとされる素材である。小麦、精製糖、そして一部の植物性油。彼はそれらが、味覚ではなく“脳”に働きかけて、無自覚のうちに過剰摂取を誘発しているのではないかと感じたという。

その食生活を一年半続けた結果、身体に明確な変化が現れた。代謝のリズムが整い、空腹感の質が変化し、何より「太らない身体」を取り戻したという。本人の言葉を借りれば「子供の頃の身体に戻ったような感覚」だという。

この話を聞いて私が興味深く感じたのは、彼がその背景に「植物の戦略」を見出していた点である。

植物は動けず、牙もなく、毒を持たぬ種もある。そうした中で、何万年もの間捕食され続けながらも種をつないできた。ならば、植物が“味”という手段を用いて、捕食者である動物に対して何らかの報復や誘導をしていたとしても不思議ではない、というのが彼の着想であった。

すなわち、甘味や香り、油との組み合わせによる強烈な「快」の体験そのものが、植物が仕掛けた“依存性の罠”なのではないかという見立てである。

このような考察は、いささか極端にも見えるかもしれない。だが、実際に身体で体感した結果に裏打ちされているだけに、単なる思いつきとして片付けることはできない。

“美味しい”という言葉の裏に潜む構造を見直すこと。
それは現代の食文化に対する静かな反証であり、同時に、私たちの「選ぶ自由」のあり方を問う試みでもあるのだろう。

おわりに──「美味しい」の解毒

現代の「美味しい」は、必ずしも身体に良いとは限らない。

むしろ、報酬中枢を騙すように作られた、精緻な化学兵器のように感じることさえある。

それでも人は食べる。そして中毒になる。

だが、そこから一歩引いて観察し、「本当の意味での味覚の自由」を取り戻せたとき、身体もまた自然と整っていく。

もしかすると、それは400万年以上の歴史を持つ、人間と植物との静かな対話なのかもしれない。


ピカソという遺産が、マラガにもたらしたもの

ピカソという遺産が、マラガにもたらしたもの

僕が通っていた湘洋中学校の美術の先生が、授業中ふとこんなことを言ったのをよく覚えている。

「いろいろな画家の絵を見てきたけれど、自分にとってピカソは別格なんだよ」

当時の僕には、その意味がまったく分からなかった。けれど大人になり、世界各地でピカソの作品に出会うたびに、その言葉が胸の中で静かに蘇る。そして、いまでは僕自身が深く同意している。

マラガはピカソが生まれ、10歳までを過ごした町だ。石畳の路地を歩き、広場で鳩を見かけると、思わずこう思ってしまう──これはピカソが描いたあの鳩の、ひょっとすると子孫かもしれないと。

彼は、この地に“未来の目”を与えた。

多作だったピカソの作品群は今や世界中に広がり、驚異的な経済的価値と文化的影響を持っている。その一部はマラガに戻り、Museo Picasso Málaga や Fundación Picasso を中心に、街の精神的な中核を形成している。

ピカソという名前は、マラガという都市の可能性を根底から書き換えた。

彼の名を冠した美術館は世界中の美術ファンや研究者を引き寄せ、旧市街の再生を促し、経済・文化・国際性のすべてにおいて都市を底上げしてきた。その結果、マラガは単なる「地中海の港町」ではなく、いまや「世界的芸術都市」としての道を歩み始めている。

では、ピカソ自身が芸術にもたらしたものとは何だったのか。

彼は20世紀という動乱の時代において、芸術の「形式」も「思想」も同時に破壊し、そして再構築した稀有な存在だった。

形式面での最大の革新は、ジョルジュ・ブラックとともに創始したキュビスムにある。1907年の《アヴィニョンの娘たち》によって、絵画は三次元空間を模倣するだけの存在ではなくなり、複数の視点を同時に内包し、「時間と空間の知覚を一枚の画面に封じ込める」試みへと進化した。絵画は「見るもの」から、「考えるもの」となったのである。

また彼は、芸術が社会や政治に対して応答する手段であることを示した。《ゲルニカ》(1937年)はスペイン内戦下の無差別爆撃を題材に、人間の苦悩と暴力を描いた。芸術が「抗議」や「記録」として機能する可能性を、これほどまでに強く世界へ示した作品はほとんどない。

さらにピカソは、表現媒体においても境界を持たなかった。絵画にとどまらず、彫刻、版画、陶芸、舞台装置まで自在に行き来した彼は、芸術とは何かという定義そのものを問い直す存在だった。彼の実験精神は、アンディ・ウォーホル、バスキア、そして現代のデジタルアーティストたちにも受け継がれ、ジャンルを超える表現の可能性を拓いていった。

つまり、ピカソが芸術に与えた最大の貢献とは、「芸術には不変のかたちなどない」「すべては変化しうる」というメタ芸術的思想を私たちの意識に根づかせたことにある。

彼はスタイルの創始者ではなく、常に問い続ける存在だった。そしてその問いは、彼の故郷であるマラガにもまた、新たな未来の眼差しを与えている。


スペイン南部アンダルシア州マラガ

マラガの中心である大聖堂の内部です。

https://www.facebook.com/1486146253/videos/pcb.10237627337731191/674980808485306

ちょっと欧州内におけるマラガの立ち位置についても書きますね。

マラガ(Málaga)は、スペイン南部アンダルシア州に属する都市であり、地中海沿岸のコスタ・デル・ソル(太陽海岸)の中心地として、歴史・文化・観光・経済の各面で独自の立ち位置を持っています。

【1】地理的・観光的立ち位置

「南の玄関口」かつ「リゾートの中心」

アンダルシア州南部の海岸沿いに位置し、地中海に面する港湾都市。年間300日以上晴天という気候から、「ヨーロッパのリゾート地」として高齢者や観光客に人気。マルベージャ、ネルハ、ロンダなど周囲の魅力的な町へのハブとしても機能。スペイン国内で最も急速に観光都市化が進んだ都市の一つ。

【2】経済的立ち位置

「地方経済のハブ」かつ「テクノロジー特区」

観光業・不動産・港湾物流に加え、テクノパーク(PTA:Parque Tecnológico de Andalucía)などを擁し、IT企業の誘致に成功。Googleが2022年にヨーロッパ向けサイバーセキュリティ拠点をマラガに設置。アンダルシアにおける第二の経済都市(第1位はセビリア)。

【3】文化的・歴史的立ち位置

ピカソ生誕地としてのアイデンティティ「パブロ・ピカソの故郷」として、ピカソ美術館や生家博物館が観光資源に。ローマ・イスラム・カトリックの重層的な歴史遺産(アルカサバ、ヒブラルファロ城、マラガ大聖堂など)を持つ。セマナ・サンタ(聖週間)の行列はスペインでも有数の規模と荘厳さ。

【4】航空・アクセス上の立ち位置

「南欧と北欧を結ぶ国際線の玄関」マラガ=コスタ・デル・ソル空港は、スペイン第4位の規模(マドリード、バルセロナ、パルマに次ぐ)で、特にイギリス・北欧諸国との結びつきが強い。多くの格安航空会社(Ryanair, easyJetなど)が発着し、欧州中からアクセス良好。

【5】政治・社会的立ち位置

「保守と革新の緩衝地帯」地方自治では伝統的に保守的な傾向が強いが、外国人移住者(主に英国、北欧、ドイツ)による多文化共生が進行中。ヨーロッパ人の「セカンドライフ拠点」として人気があり、高齢者医療・美容医療の拠点化も模索されている。

【6】高齢者医療・予防医療の先進都市へ

マラガは「ヨーロッパのシニアリゾート」として知られ、特に英国・スカンジナビアからの高齢移住者が多数。彼らを対象とした内科・整形・再生医療・審美歯科・アンチエイジング医療の需要が急増。スペインの公的医療制度(SNS)はEU域内でも評価が高く、かつ私立医療機関も発展。近年では、幹細胞治療やPRP療法(多血小板血漿)などの再生医療を提供するクリニックも増加。

【7】美容医療の欧州ハブ化の動き

「太陽海岸」であるため、美容皮膚科・レーザー治療・ボディコンツアリング(HIFEM/HIFU等)など審美系施術のニーズが通年で存在。スペインでは医療行為としての美容施術に法規制が整っており、医師主導の安心感もある。マルベージャやエステポナとの富裕層医療ネットワークも形成されつつあり、マラガがその中心的都市になりつつある。

マラガの立ち位置とは

スペインの中で「歴史・観光・国際性・技術革新」が融合した稀有な都市。南部アンダルシアの「文化首都」として、今やバルセロナやセビリアに次ぐ第三極として存在感を強めている。


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