新国際学会周遊記──百鬼夜行と現代の新しい妖怪たち
◆夜を行進するものたち
ちょうど先週のこと。米子の鳥取大学を訪れた時に水木しげるの出身地である境港市に足を伸ばしてみた。街おこしもあるのか、見事に妖怪商店街が完成していて、とても楽しませてもらえた。
思えば世界を旅していると、「夜に異形が行列をなす」というモチーフが各地にあることに気づく。
ヨーロッパなら魔女のサバト、中国では魑魅魍魎の夜宴、そして日本には「百鬼夜行」があった。
百鬼夜行絵巻を開くと、唐傘や針箱といった日用品が歩き出し、一つ目小僧がこちらを覗き込む。妖怪たちが夜の闇を練り歩く様子は、恐怖であると同時にどこか愛嬌を帯び、見る者の心を不思議と和ませる。





◆妖怪が増える理由──日本文化の土壌
では、なぜ日本では妖怪が際限なく増えるのか。
〇自然観とアニミズム
日本には山川草木に霊を見出す文化がある。道具さえ魂を宿し「付喪神」となる。
〇宗教の重層性
神道の八百万神、仏教の六道、陰陽道の禁忌。それぞれの信仰が交差して異形を量産した。
〇物語文化の豊かさ
『今昔物語集』『宇治拾遺物語』から江戸の草双紙まで。日本人は怪異を「語り継ぐだけでなく、創り出す」民族だった。
〇都市化と庶民心理
江戸の100万人都市。夜の不安と娯楽欲求が重なり、怪談や妖怪譚が大流行した。
◆西洋の悪魔と日本の妖怪──異なる想像力
西洋の悪魔はキリスト教的善悪二元論に基づき、神に敵対する「絶対悪」。異端審問や魔女狩りに利用された。
その一方で日本の妖怪は必ずしも悪ではなく、人と共に暮らし、ときに守護神へと転じる。疫病退散の「アマビエ」はその象徴。
つまり、悪魔は「絶対悪の具現」、妖怪は「境界のゆらぎ」。この違いが文化の想像力を大きく分けた。
◆19世紀以降──ドラキュラと雪女
近代に入ると差はさらに鮮明になる。
西洋ゴシック文学:『フランケンシュタイン』、『ドラキュラ』、E.A.ポーの怪奇小説。悪魔は「怪物」として再解釈され、科学文明への不安を象徴した。
日本の近代怪談:小泉八雲『怪談』は雪女を世界に紹介し、柳田國男『遠野物語』は口承の妖怪譚を民俗学として体系化した。
西洋では近代の闇に「吸血鬼」が現れ、日本では里山の闇に「雪女」が息づいた。
◆現代科学とAI──新しい妖怪の誕生
では、21世紀の私たちが直面する「妖怪」とは何だろうか。
・情報の妖怪
SNSのアルゴリズムが増殖させるフェイクニュース。真偽不明の言葉が、人々の心を惑わす様は「言霊の妖怪」とも言える。
・ディープフェイクの怪異
顔や声を自在に合成する技術は、「自分そっくりの分身」が独り歩きする新しい妖怪を生み出した。
・AIという付喪神
膨大なデータを学び、まるで自我を持つかのように語るAIは、現代版の付喪神である。長く使われた道具が霊を宿すように、使い込まれたアルゴリズムが「新しい生命」を宿しているかのようだ。
この時代の妖怪は、もはや夜道ではなく、スクリーンの向こうから現れる。
◆妖怪とは何か──普遍と変容
悪魔は人を地獄に導くために存在したが、妖怪は人と共に笑い、恐れられ、時に守る。
そして現代では、妖怪は情報の海から顔を出し、AIやネットの中で姿を変えている。
妖怪とは常に「不可解を物語化する文化的装置」だった。
だからこそ、百鬼夜行の行列は止まらない。
かつて絵巻に描かれた妖怪たちは、いまや情報社会という新しい夜道を練り歩いているのだ。
夜道を歩けば、百鬼夜行は今もどこかで続いている。
かつては唐傘や針箱が行列をなし、今ではアルゴリズムやAIが影を落とす。
妖怪は常に私たちの隣にあり、文化の鏡として姿を変えながら行進を続けているのだ。





