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【新国際学会周遊記──イベルメクチンの希望と幻影】

新国際学会周遊記──イベルメクチンの希望と幻影

パンデミック期の象徴のように、今も語られる薬がある。

それがイベルメクチンだ。

川名ゴルフクラブの土壌から見つかった菌から、寄生虫の治療薬として誕生し、大村智博士にノーベル賞をもたらしたこの薬は、COVID-19流行初期に「もしかすると救世主かもしれない」という希望を背負った。

◆試験管の中で生まれた希望

2020年春、オーストラリアの研究者らが「イベルメクチンがSARS-CoV-2の増殖を抑制する」と報告した。
あくまで試験管内での実験だったが、光を求めていた世界にとっては、一筋の救いのように映った。

◆政治と製薬会社の影

しかし科学の世界は「希望」だけでは動かない。
大規模臨床試験では明確な有効性は証明されず、WHOやFDAは「臨床試験以外での使用は推奨しない」と結論づけた。
一方、数兆円規模の投資が行われたワクチンや新薬の影で、「安価な既存薬に光を当てたくない力学が働いているのでは」という声も広がった。
思えばWHOの予算を出しているのは製薬会社。WHOは権威付けの機関であるという図式も、冷静になれば想定できた。
ブラジルやインドでは推奨派と反対派が政治的に対立し、米国では処方した医師が処分対象とされる例まであった。

◆日本での摩擦

日本でも「効くかもしれない」と希望を抱いた臨床医は少なくなかった。
だがなぜか厚生労働省は承認せず、臨床試験も縮小。
「患者に投与したい医師」と「規制する当局」の間に摩擦が生まれ、社会的な対立の象徴となった。

◆効いた人もいた

それでも、現場には「効いた」と感じた患者が確かにいた。
写真の本は、イベルメクチンが効いたとする世界の医師の証言を集めた新刊で、興味深く読んだ。
大規模試験では平均化されて見えなくても、軽症者や発症初期に改善を示す例があったのだ。
つまり「絶対に効かない」と切り捨てるのは早計であり、禁止という極端な選択は、本来の臨床現場の柔軟性を奪ってしまったのではないか。

◆次なるパンデミックへの教訓

イベルメクチンの物語は、COVID-19という特殊な状況下での一つの断面にすぎない。
だがそこから私たちが学ぶべきことは少なくない。

1. 既存薬の柔軟な活用

パンデミック初期において、新薬やワクチンの開発には時間がかかる。
その間、すでに安全性が確認され、世界中に流通している既存薬を「使ってみる」柔軟性こそが、多くの命を救う可能性を持つ。
「効くかもしれない」という仮説を検証しつつ現場で適切に活用する──それが医師の裁量であったはずだ。

2. 政治と医学を分けるべき

今回の混乱は、医学的判断がしばしば政治的力学や経済的利益に巻き込まれたことに由来する。
科学的エビデンスの有無と、政治的都合や製薬企業の利害は本来別次元であるべきだ。
臨床現場の判断を尊重しつつ、透明性のある議論を行う仕組みが必要だろう。

3. 「平均値」と「個別の患者」

ランダム化比較試験は医学の金字塔だ。
しかし、統計的に有意差がないことと、個別に効く人が存在しないことはイコールではない。
臨床の第一線にいる医師は、常に「目の前の一人」に向き合わねばならない。
イベルメクチンの教訓は、「平均値に現れない個の多様性」を忘れてはならない、ということだ。

◆終章──未来への問いかけ

パンデミックの最中、私たちは「科学」を信じ、「政治」に翻弄され、「希望」と「幻影」の間を揺れ動いた。
イベルメクチンはその象徴であり、ひとつの薬がここまで社会全体を映し出すのは稀有なことだった。
「次のパンデミックでは、私たちはどう向き合うのか。
既存薬の柔軟な活用を認めるのか。
政治と医学の境界を守れるのか。
そして“平均値”を超えて、目の前の一人を救えるのか。」
その問いを忘れない限り、イベルメクチンの物語は、ただの過去の幻影ではなく、未来への道標となるだろう。


【新国際学会周遊記──標語を探して辿り着いた三つの言葉】

新国際学会周遊記──標語を探して辿り着いた三つの言葉

自分自身を律するための「標語」をいろいろ考えていました。

標語とは、短いながらも、その人の人生観や学びを凝縮する一言。旅の途中や学会の合間に、ふと頭に浮かんだ言葉が、自分を導く羅針盤となることがあるのです。

今日も飛行機の窓の外を眺めながら、「自分自身を最もよく表す標語とは何だろう」と思いを巡らせていました。

◆無常という入口

まず思い浮かんだのは「無常」でした。
国際学会を渡り歩いていると、都市も人も、あっという間に姿を変えていきます。
常に変化する世界の中で、常識を疑うこと。唯一変わらない真理が「無常」です。これを知ることが、私の出発点なのだと感じました。

◆叡智という道

しかし、ただ無常を眺めているだけでは足りない。
人類が積み重ねてきた知識や学問を学び、磨き続けること──それが「叡智」。
医師として、研究者として、そして一人の旅人として、叡智を手にすることが次の道だと自然に思い至りました。

◆智慧という到達点

そして最後に浮かんだのが「智慧」でした。
どれだけ叡智を学んでも、それをどう生かすかは別の次元の問題です。
臨床現場や人生の節目で求められるのは、知識ではなく人間らしい判断力──すなわち智慧です。

◆標語に収斂する

こうして自分の頭の中で組み上がったのが、次の標語でした。

「無常を知り、叡智を磨き、智慧に至る。」

ただ標語を考えようとしていただけなのに、いつの間にかこの三つの言葉に辿り着いていたのです。

振り返ってみれば、これは私の人生そのものを表す縮図でもありました。

◆結びに

標語を探すというのは、自分自身の歩みを見直す作業なのかもしれません。
無常を知り、叡智を磨き、智慧に至る──この言葉を胸に、僕はまた次の学会へと旅立っていきます。


著書のサイン

著書のサインを頼まれて、先生の標語のようなものがあれば書いて欲しいと言われたのですが、実は考えたことがありませんでした。

生成AIに聞いたところ

1. 医学・工学・芸術を横断する人生観
「光と音で、人を癒す」
「科学を芸術に、芸術を科学に」
「五感の先に未来がある」

2. 歴史と哲学を踏まえた標語
「常識を疑え、未来を創れ」
「無常を知り、普遍を求める」
「縁起を信じ、独創を貫く」

3. 経営者・教育者としての顔を意識した標語
「挑戦なき安定は衰退」
「問い続ける者が時代を拓く」
「知を繋ぎ、人を育てる」

4. シンプルで覚えやすい標語
「科学と芸術のあいだに」
「未来をデザインする」
「光で拓く道」

このあたりがいいのでは?と出してきましたが、どれが良いですかね?


大阪万博会場2025

大阪万博会場2025に沈む夕陽と、正面ビューの花火からの噴水ショー。

噴水ショーの夜の虹の物語も素晴らしかったです。

週末に終わってしまうのが残念ですね。


【新国際学会周遊記──秋の層雲と富士山の頭】

新国際学会周遊記──秋の層雲と富士山の頭

雲海に ただひとり立つ 秋の富士

飛行機の窓から見下ろすと、一面に白い絨毯のような雲が広がっていました。ちょうどその中から、富士山の頭がぽっかりと顔を出している光景に出会いました。まるで大海原に浮かぶ孤島のように、孤高の存在感を示しているのです。

この雲は層雲(stratus)と呼ばれる種類。低く一様に広がるのが特徴で、まるで大地を覆う白いベールのよう。秋は空気が安定しやすく、気温と地表の温度差が大きくなる朝晩には、層雲や層積雲が広がりやすくなります。とりわけ10月から11月にかけては、飛行機からの視点だからこそ楽しめる「雲海の絨毯」が現れる季節です。

富士山の標高は3,776メートル。この日の層雲の上端はちょうど3,600メートル前後、すなわち約12,000フィート付近にあったと推測されます。山頂だけが秋の青空に突き抜けている光景は、まさに「天に近い場所」だけに許されたご褒美のようでした。

古来より、日本人は雲の姿に季節を読み取り、歌に詠み、吉兆を占ってきました。『万葉集』にも「秋雲のたなびく山」との表現が登場します。層雲が描く水平の層は、季節が夏から秋へと静かに移り変わった証でもあるのです。

学会へ向かう機内で偶然出会ったこの風景は、最新のレーザー機器や人工知能の発表以上に、自然が織りなす壮大な一枚のスクリーンを見せてくれました。科学と詩心が交差する地点にこそ、学問の本質が潜んでいるのかもしれません。

秋空に 孤高を示す 霊峰よ


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