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【新国際学会周遊記──休日大国ニッポンとテストステロンの封印】

新国際学会周遊記──休日大国ニッポンとテストステロンの封印

高市新総裁がワークバランス関係なく働いてもらうと言っていますが、あれは国会議員に向けての叱咤激励ですよね。

ですが、我々も彼女の言葉をきっちり理解して、次世代の若い人たちが誇りを持てる強い日本国を残してあげるべきだと強く思います。

幾つものハードルや妨害がはあるとは思いますが、

「世襲ではなく、サラリーマンの子女が与党総裁の座についたこと」

は大きな驚きと期待しかありませんね。

閑話休題

学会で海外の研究者と話をしていると、必ずといってよいほど出る話題があります。

「日本は、なぜそんなに祝日が多いのですか?」

実際、日本は今や世界でも有数の“休日大国”。「ハッピーマンデー制度」で連休化が進み、年間カレンダーは赤い日で埋め尽くされました。本来なら休暇は心身をリフレッシュさせるもの。しかし現実には「リズムを断ち切るもの」として作用し、「頑張ろう」という気持ちを削いでしまったのです。

◆休日大国ニッポン──国際比較から見える異質さ

各国の祝日数を比べると、日本は16〜18日と世界でも突出して多く、しかも点在しています。
アメリカは10日ほどで、企業によってはさらに少ない。
ドイツは9〜13日、夏の長期休暇が中心。
フランスは11日程度だが、夏に3〜4週間のバカンスを一斉に取る。
日本は「細切れの休日」が年間を通じて散らばり、仕事のリズムを何度も断ち切ります。欧州のように「しっかり働き、しっかり休む」モデルとは違い、集中と弛緩のサイクルを失ったのです。

◆「ゆとり」と「なんちゃらハラスメント」

21世紀初頭、日本は「ゆとり」を掲げました。理想を描きながらも、結果的に基礎学力の低下や努力回避の空気を招きました。「ゆとり」という言葉は、挑戦を避けるための免罪符に変わってしまったのです。
同じ頃、社会には「○○ハラスメント」が氾濫しました。パワハラ、セクハラ、モラハラ……。もともとは弱者を守るための概念でしたが、いつしか「叱る」「競わせる」「挑戦させる」ことまでも封じ込めました。リーダーの推進力が萎縮し、挑戦心そのものが社会から失われていきました。
徒競走の順位を競わせない今の運動会って、なんの意味があるんでしょうか….。

◆テストステロンの抑圧

テストステロンは、挑戦・達成・リーダーシップを生み出す社会的エネルギーの根源です。

ところが現代日本では──

勝ちたい気持ちは「悪」扱い

叱咤激励は「ハラスメント」扱い

上昇志向は「自己中」扱い

こうした環境が、若者から闘争心を奪い、「頑張れば頑張るほどリスクになる」という矛盾を生み出しました。その副作用は、競争力の低下だけでなく、少子化やリーダー不在にも直結しています。

◆「24時間戦えますか?」の逆説

1989年の栄養ドリンクのCMに登場したキャッチコピー──「24時間戦えますか?」。
当時はサラリーマンの誇りであり、ジャパン・アズ・ナンバーワンを支える闘志の象徴でした。
しかしバブル崩壊後、成果なき長時間労働だけが残り、この言葉はやがて「ブラック企業」のスローガンと化しました。誇りだったはずの言葉が、社会的に「悪」として糾弾される。これは、日本が「戦うこと」自体を否定する社会に変貌していった象徴でもあります。

◆戦う文化を取り戻せるか

海外で感じるのは、戦うことへの肯定感が依然として強いという点です。
アメリカでは、起業家が徹夜の努力を誇る文化がある。
フランスは長期休暇を楽しみつつ、仕事の場では徹底的に戦う。
韓国や中国では、激しい競争が日常として受け入れられている。

対照的に、日本は休日を増やし、挑戦を抑え、戦うこと自体を否定する空気に包まれました。

◆リズムと余白を取り戻す

必要なのは「休日の数」ではなく「休暇の質」。
必要なのは「ゆとり」ではなく「余白」。
必要なのは「ハラスメントの萎縮」ではなく「健全な叱咤激励」。

そして、かつての「24時間戦えますか?」の精神をそのまま復活させる必要はありませんが、挑戦することを肯定できる文化を再び社会に取り戻すこと。そこに、日本再生の鍵があるのだと僕は強く感じています。

世界でも突出した消費者意識と、弱者に合わせる対応といった、耳に優しい言葉で、国力を削がれて来た平成時代。ゆとりによって考えることを放棄して飼い慣らされた国民は、世界の巨大企業の消費者になるしか道はありません。

リゲインもレッドブルになれたはず。そろそろ日本人も目を覚ましても良いのではないでしょうか?


太平洋クラブ御殿場で

今日はゲストの方をお迎えして太平洋クラブ御殿場コース。

富士山もくっきりとみえて、楽しめました。

ショットはショートアイアンが安定せずに苦しみましたが、6番のロングホールでは291ヤードドライブも。

池越えツーオン狙いましたが、例の邪魔な木に当たってしまい、スリーオン。結局パーでした。

メンバーでもなかなか取れない太平洋クラブ御殿場。

年末の足骨折から3月にゴルフ復活して本年は6回回れましたが、取れていた予約は今回が本年最後。

今年の御殿場のベストスコアは86。

もう少し頑張りたかったなあ。


坂口志文氏らにノーベル生理学・医学賞 免疫のブレーキ役発見、日本2年連続、30例目

やりましたね!

今回の医学ノーベル賞って何だったか

2025年のノーベル生理学・医学賞は、免疫の制御に関する発見(“peripheral immune tolerance”(末梢免疫寛容))に対して贈られた。

受賞者には、マリー・ブルンコウ、フレッド・ラムズデル、そして日本の坂口志文(さかぐち しもん/Shimon Sakaguchi)教授が選ばれた。
その研究は、免疫システムが「自分自身(体の組織など)」を攻撃しないように“ブレーキ”をかける仕組みを解明したものだ。

【号外】坂口志文氏らにノーベル生理学・医学賞 免疫のブレーキ役発見、日本2年連続、30例目 – 産経ニュース

◆免疫に必要な「ブレーキ」
私たちの身体は、常に外敵と戦っています。ウイルス、細菌、そして腫瘍細胞。
このとき前線に立つのはキラーT細胞やヘルパーT細胞、つまり「アクセル」役の兵士たちです。
しかし、車にアクセルしかなければ事故を起こすように、免疫系にも「ブレーキ」が必要です。
このブレーキ役を担うのがTregなのです。

◆発見の物語

2001年、坂口志文教授らによって「Foxp3」という転写因子を持つ細胞が発見されました。これが制御性T細胞。
世界中の免疫学者が「免疫には抑制細胞がある」という事実に震えました。「免疫とは敵を倒すもの」という単純な構図が一変し、免疫の中に「制御と調和」の概念が組み込まれた瞬間でした。
僕が医学生だった90年代には、この概念だけはあって、サプレッサーT細胞と言われていたんですよね。昔は“サプレッサーT細胞”と呼ばれた抑制役が、研究の進展で“制御性T細胞(Treg)”として正体が明らかになったということです。

◆臨床に広がる応用

Treg研究は、臨床医学に直結しています。

自己免疫疾患:Tregが不足すると、自分の細胞を攻撃してしまう。
がん:逆にTregが多すぎると、がん細胞が免疫から逃げやすくなる。
移植医療:Tregを増やせば、拒絶反応を防げる可能性がある。

つまりTregは、病を防ぐ「聖者」にも、がんを守る「裏切り者」にもなり得るのです。

◆なぜこれが大事なの?

1. 病気を理解する道を拓く
免疫が体自身を攻撃してしまう「自己免疫疾患(たとえば1型糖尿病、関節リウマチなど)」の原因の一端を説明できるようになる。今回の研究は、“なぜ免疫が暴走しないかを制御する仕組み”を明らかにした。

2. 新しい治療へのヒントを得る
この発見をもとに、自己免疫疾患を抑える新しい治療や、がんにおける免疫療法の改善などへ応用できる可能性がある。免疫を「適度に抑える/活かす」技術が鍵となる。

3. 基礎研究の価値を示す
臨床で使う薬を作る段階ではない“原理の発見”が、長期的には医療を大きく変える力を持つと証明される。ノーベル賞はそのような“基盤となる知”の重要性を社会に示すシグナルになる。

◆例えるなら──「警備と秩序の物語」

今回のノーベル賞を高校生にもわかるように説明すると、学校の文化祭で、どこからか“いたずら者”が入ってきて展示品を壊そうとするかもしれない。だから守る人(衛兵)が要る。でもその守る人が誤って、文化祭のスタッフ(=自分たち)を攻撃してはいけない。

今回のノーベル賞の研究は、「守る人(免疫細胞)」が“自分”と“よそ者”をちゃんと識別して、誤って自分自身を攻撃しないようにする“ブレーキ”の仕組みを明らかにした、ということです。


【新国際学会周遊記──世界の「聖地」と磁場の物語】

新国際学会周遊記──世界の「聖地」と磁場の物語

世界を歩いていると、ただの都市や会場を超えて、不思議な「磁場」を放つ場所に出会います。そこは人々が集まり、歴史と文化が堆積し、時に精神や身体を変えてしまうほどの力を持つ。

春のオーガスタで行われるマスターズや、夏のバイロイトでの祝祭劇場──それらは単なるイベントではなく、「人類の儀式」として私たちを惹きつけてきました。

◆スポーツの聖地
オーガスタ・ナショナルGC。毎年同じ芝、同じ池、同じ松に囲まれた舞台で繰り広げられるマスターズは、ゴルフそのものを超えて「春の儀式」そのものです。優勝者に授けられるグリーンジャケットは、布切れではなく物語への参加証。

ロンドン郊外のウィンブルドンもまた、夏を告げる儀式です。白いユニフォームに身を包んだ選手と、ストロベリー&クリームを味わう観客。芝生の匂いが漂う中で繰り広げられるラリーには、伝統と美学が凝縮されています。

ブラジル・リオのマラカナンはサッカーの殿堂。歓喜と悲劇の記憶が幾重にも重なり、観客の声援そのものが建物の一部になっています。

◆音楽と芸術の聖地

2度訪れたことがあるドイツ・バイロイトの祝祭劇場。初めて訪れたとき、あまりの厳粛さに胸が詰まりました。劇場内は一切の装飾を排し、ただ音楽と観客だけが向き合う。ワーグナーの楽劇が始まると、時間の感覚が溶け、まるで神話の内部に取り込まれたかのようでした。舞台を見終えて外に出ると、夏の夕暮れの空気さえも音楽の続きのように感じられたのを覚えています。

オーストリア・ザルツブルクでは、夏の音楽祭が街全体を舞台にして広がります。石畳の道に響くアリアや交響曲。観客は観光客であると同時に、芸術の共演者でもあるのです。

ウィーン楽友協会では新年を告げるコンサートが鳴り響き、黄金のホールは一年の始まりを告げる鐘楼のように光を放ちます。テレビには映るだけですが、実際には薔薇の芳醇な香りに満たされた会場は神々しく、ゴールデンホールの名の如く金色で美しいですね。

◆学術と経済の聖地

スイス・ダボス。雪山の町に、政治家や経済人、科学者が集まり、未来を語る。ここでは会議そのものが祭典となり、吹雪の中に人類の叡智が交差します。

オックスフォードやケンブリッジの街角を歩けば、石造りの学寮や書物の匂いが漂い、学術そのものが風景の一部になっていることに気づきます。

◆宗教と精神の聖地

メッカには数百万の人々が一斉に巡礼し、同じ方向へ祈りを捧げます。個を超えて群れとなる人間の姿は、信仰の力を目の当たりにさせます。

ローマのバチカンでは、宗教と芸術が一体化しています。サン・ピエトロ大聖堂の大理石の床を踏みしめると、信仰の歴史そのものの上に立っていることを実感します。

そしてインドのブッダガヤ。菩提樹の下に静かに座ったとき、奇妙な感覚に包まれました。2500年前、ここで釈迦が悟りを開いたという歴史。その木漏れ日が差し込む中で、自分自身の呼吸がゆっくりと仏教の歴史と共鳴するのを感じたのです。そこでは時間が直線ではなく、円環のように流れているようでした。

◆文化と伝統の聖地

日本の京都。四季折々に訪れるたびに、街が異なる表情を見せてくれます。春には桜と花吹雪の中での哲学の道、夏には祇園祭の熱気、秋には紅葉に包まれた東福寺の回廊、冬には雪化粧の銀閣寺。茶室に腰を下ろし、抹茶をいただくとき、そこに流れる「無常」の美意識が日本人の精神を形づくってきたのだと、改めて実感します。

ギリシャ・デルフォイを訪れたときのこと。パルナッソス山の斜面に広がる遺跡を歩きながら、ふと石に刻まれた「人間は汝自身を知れ」の言葉を思い出しました。眼下にはオリーブの木々が海のように広がり、古代の神託を求めて人々が集った光景が、まるで残像のように見える。静寂の中で、哲学と宗教、そして科学の源流が交わっていたことを体感しました。

結びに

オーガスタ、バイロイト、ウィンブルドン、ザルツブルク、ダボス、メッカ、バチカン、ブッダガヤ、京都、デルフォイ──。

分野は異なれど、共通しているのは「人類が集い、記憶を重ね、精神を更新する舞台」であることです。

スポーツは肉体を、音楽は感性を、学術は知を、宗教は魂を、文化は根源を揺さぶる。

その磁場に触れる旅は、単なる観光ではなく「人類の叡智の巡礼」となるのです。

 


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