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プラハ、オペラ「魔笛」

この日プラハに向かったのは、プラハで二晩に渡って二つのオペラを予約していたからなのです。

初日はモーツァルトの「魔笛(マジック・フルート)」。

ドイツの知的階級は、

「子供に最初に見せたいオペラは、“魔笛”だ」

と言うのだそうです。

さて、夜の7時にプラハ国立劇場にやってきました。

プラハ国立劇場は、元々はドイツ人のために建てられた歌劇場で、1960年代から1970年代にかけて全面的に改修されたそうです

この場所では、モーツァルトの「ドン・ジョバン二」と「皇帝ティトの慈悲」という二つの名作が初演されています。

入口には魔笛のポスターがありました。

幕が上がるのを、わくわくしながら待ちます。

チェコ共和国には、国全体で人口が1000万人ぐらいしかいません。

東京都の人口よりも少ない国家、ということになりますが、その文化度は非常に高いことで知られています。

チェコの小学校では、午前中の授業が終わると、午後は絵画、楽器演奏、ダンスなどなど全員が何らかの芸術の講義を受けるのだそうです。

僕もそんな小学校に通いたかったなぁ(笑)。

芸術に関して素養を持ち、歴史や文化を理解した上で楽しむには、誰でもある程度の時間と教育が必要だと思うのですが、こういった作業を小学校のうちから行う事で、芸術を理解する人口を圧倒的に増やす。

芸術立国としてのチェコの国家政策は、すばらしいと思いました。

さて、こちらが舞台を撮った写真です。舞台の上に、字幕の出る画面があるの、わかりますか?

字幕は英語とチェコ語で出てきます。

オペラの所属団員たち。

モーツァルトの時代はオペラという概念がありませんでした。

この魔笛も、当時は「ジングシュピール(歌芝居)」という劇の一種。

映画「アマデウス」にも描かれているように、この魔笛は、数々のトラブルを巻き起こした作品でもありました。

このオペラは当時モーツァルトが所属していた“フリーメイソン”という友愛団体の形態をとる秘密結社の秘密を暴いてしまった、と言われています。

フリーメイソンの様々なシンボルや教義に基づく歌詞が設定に使われており、特に「3」という数字へのこだわりが随所に見られます。

王女の3人の侍女がでてきたり、3人のボーイソプラノの童子がでてきたり、同じフレーズが3回繰り返されたり。

3はフリーメイソンにとって特別な数字。

このフリーメイソンの秘密を暴いたためモーツァルトが毒殺されたと、いう意見があるぐらい。

(そうそう、「三人の童子」は本来なら男の子なのですが、今回のプラハ公演では女の子が演じていましたよ。とてもかわいらしかったので、こんな童子もいいなと思いました。)

ここで魔笛のストーリーを簡単におさらいしておきましょう。

舞台は、時代不詳のエジプト。狩り着を着た主人公の美青年タミーノが大蛇に教われ、絶体絶命の危機を、夜の女王の三人の侍女に救われます。

タミーノの美貌と勇気を知った夜の女王が、悪役のザラストロにさらわれた娘パミーナの救出を願います。この時に配下についたのが、夜の女王に遣える鳥刺しのパパゲーノ。

彼はこの舞台で道化の役目をします。

この時に身を守るものとして、タミーノには「魔法の笛」が、パパゲーノには「(魔法の)銀の鈴」が与えられました。

こちらが幕間に展示してあった「銀の鈴」です。

劇中、パパゲーノがこの鈴を鳴らすと、暴れている悪役達がおとなしくなってしまうのですが、子どもたちは大喜びでしたね。

こちらも幕間に見た楽譜

使い込んでいますね。

幕間にもオーケストラのスタッフは、練習を繰り返していました。

ホールには余韻にひたる人たちがたくさんいました。

さて、劇の説明に戻ります。

意気揚々パミーナを救いに行くタミーノとパパゲーノ。

しかしながら、悪魔であると考えられていたザラストロは、実はエジプトのイシス神とオリシ神を唱える、極めて多くの信者を持つ聖職者だったのです。

ザラストロに感服したタミーノとパパゲーノは、改心し、彼の指導のもと、修行の旅に出ます。

注意深く観ていないと分かりませんが、ここで悪役と善役が入れ代わるのです。

実は悪役であることが判明した「夜の女王」である母のところに戻ったパミーナは、宿敵のザラストロを殺さないと、親子の縁を切るとまで言われ、ナイフを渡されます。

この時のアリアは、本当に難易度が非常に高く、有名なものですので、誰もが一度は聞いているのではないでしょうか。

結局ザラストロの元で数々の試練に勝ち抜いたタミーノとパパゲーノは、ザラストロの庇護の元、パミーナとパパゲーナという伴侶を得て祝福され、幕が落ちるのです。

今回の魔笛に本当に感銘を受けて、帰国後に魔笛のDVDを10回以上も観ているのですが、観るたびに

ああ、こういう事だったのか

と発見がある、本当に深い意味を持つオペラなのですよ。

いまだに僕の車には魔笛のDVDがいつも常備してあります。

モーツァルトがこの魔笛を仕上げたのは1791年9月30日の事。

当時35歳だったモーツアルトは、そのわずか2ヶ月後の12月5日にウイーンにて永眠しました。

モーツァルトの死因には様々な説がありますよね。

宮廷音楽家サリエリの嫉妬説や、ちょうど魔笛の作曲中から体調を崩したことからフリーメイソンの秘密を明かしたことに対する復讐説。はたまた妻のコンスタンチンによる毒殺説などなど。

不世出の音楽家であったモーツアルトの遺体が、不思議なことに貧民のための共同墓地に埋葬され、遺体の特定ができなくなっています。検死が事実上不可能になっていることも、さまざまな憶測を呼んでいます。

永遠に謎の解けないミステリーとして語り継がれるのでしょうね。

この名作を、皆心から楽しんでいました。

最後に僕の持っているお勧めの魔笛のDVDをいくつかご紹介しますね。

記憶に残る良い夜でした。

 


音楽の都 プラハへ

さて、この日はチェコのプラハに移動します。

ドイツのアウトバーンから、ひと山越えてチェコに入ると、標識からドイツ語が見えなくなり、ちょっと感じが変わります。

ドライブインに入って地図を見てもチェコ語が並んでいます。

チェコの首都であるプラハは、神聖ローマ帝国の首都として14世紀から栄えてきた街です。

中世の街並みが続き、本当にきれいな街。

街並みもロマネスク様式から始まって、

ゴシック様式の建物

ルネッサンス様式の建物

バロック様式の建物

アールヌーボー様式の建物と

建築好きにとっては目を楽しませてくれるものばかり。

ちなみにこの市民会館は音楽祭、「プラハの春」の会場でもあるスメタナホールがある場所です。

この市民会館のモザイク画は、チェコ出身の画家ミュシャが描いたもの。

ミュシャの特徴的な、そして印象に残る女性の絵はご存知ですよね。

ミュシャは1888年にパリの街に出るまでほとんど無名の画家でした。ある事をきっかけにパリの大女優のサラ・ベルナールの「ジスモンダ」の舞台の新作ポスターを手がけることになったのですが、その美しい絵柄が瞬く間にパリ中で話題になり、アールヌーボーを代表する人物になりました。

サラはすぐにミュシャと5年間の専属契約をして、その間7作品のポスターを仕上げたのです。当時の「椿姫」や「トスカ」のポスターを実際に観た事がありますが、見事でしたね。

そして、もう一人、この街で忘れてはいけないのは、モーツァルト。

彼は30歳の時のオペラ「フィガロの結婚」がプラハで大ヒットしたためにこの地に招かれ、「ドンジョヴァンニ」を仕上げたことは知られています。

また僕の最も好きな映画の一つである「アマデウス」の撮影はほとんどがこの中世の街並みが残るプラハで行われたのです。

僕は今までアマデウスを通常のバージョンのDVDしか持っていなかったのですが、帰国後に、一番好きな映画の一つですし、ディレクターズカットを観てみようと今回ブルーレイディスクで買い直したのです。

観てみてびっくり。

これは絶対にディレクターズカットの方が良いですね。今まで分からなかったエピソードが含まれていて、長年の謎が解けたたものもありました。

また、映画の中に出て来るオペラの数々も、実際に観劇したものばかりになりましたので、湧き上がるイメージががらりと変わり、映画監督の意図がより理解できるようになりました。

考えてみれば天才モーツァルトの人生を3時間程度で観ようなんて、そもそも難しいですよね。

ディレクターズカットのDVDには、当時のソ連支配下にあったプラハで行った撮影がいかに難しかったかなどの特典映像がついています。

街並みは当時とほとんど一緒ですね。

アマデウスは以前のブログにもふれましたが、僕イチオシの映画の一つです。

 


ヴァルトブルグ城の歌合戦の大広間

イタリアから帰ってきたばかりですが、残っていたドイツ・チェコブログを仕上げてしまいますね。

バイロイト祝祭劇場と、ワーグナー博物館に立ち寄ったのち、向かったのはドイツのほぼ中心にある「アイゼナハ」という街でした。

バイロイトからこの地まで、約200kmの道のりです。

アイゼナハはバッハが生まれ、若き頃のルターが住んだ街です。

山の上にある中世の城ヴァルトブルグ城に一路向かいました。

山の頂上の駐車場に車を停め、雨の中、きつい山道と階段を歩いて行くとヴァルトブルグ城につきます。

さて、この城は、音楽好きにとっては、あることでとても有名な場所なのです。

城の中に入るためにはツアーガイドによるツアーに入らなければなりません。

勝手に城を歩いてはいけないそうなのです。

英語+ドイツ語のツアーがありましたので、そのツアーに参加します。

さて、城は広いのですが、僕が行きたかった場所はただ一つ。ガイドの説明がもどかしいぐらい。

やっとのことでその大広間につきました。

この広間は「歌合戦の大広間」と言います。

13世紀のヴァルトブルグ城では、多くの詩人やミンネゼンガーと呼ばれる宮廷恋歌家人が招かれていました。

この場で詩歌を競い合っていたのがこの場所。

オペラを観られる方はピンときたかもしれません。

そう。

この部屋はワーグナーのオペラ「タンホイザー」の第二幕で描かれる、歌合戦の舞台なのです。加えて主役のタンホイザーはこのヴァルトブルグ城の騎士という設定です。

ちなみにこのガイドさんが言っていましたが、当時は歌合戦に負けてしまった人物は首を切られてしまったとか。

中世らしい、恐ろしい話ですね。

ツアーも終わりにさしかかり、この広間に到着した時に、荘厳なタンホイザーの第二幕の歌合戦の曲が流れていました。

すごいと思ったのは、その場にいた小学生ぐらいの女の子が、曲に気づくと「タンホイザー」とつぶやいて、そのままハミングを始めたのです。

ドイツ人の子供にとっても、ワーグナーの音楽は親しみがあるんだと、その文化度の高さに驚きましたよ。

この部屋の隣には、あのマルティン・ルターが新約聖書をドイツ語訳した小部屋がありました。

ルターは、その著作によってカトリック教会から事実上の破門を受け、帝国議会への召喚を受けます。

その会期中に消息を絶ったように見せかけて、このヴァルトブルグ城主のフリードリッヒにかくまわれたのです。

実はこのツアーでは、こちらがメインディッシュだったらしいのですが(笑)、本当に小さな小部屋。

ここでルターが10か月も悩みつつも作業をしたんですね。

そうそう。

このマルティン・ルターが残した言葉の中に

「医学は病人を、数学は悲しむものを、神学は罪人を作る。」

というものがありました。

僕も一人の医師として働いてきましたが、この言葉には感慨深いものがありますね。

ルターは自分が専門にしてきた神学というものに、例えようのない、ある意味の限界を感じていたのでしょうか。

僕も、12年間大学医局に所属し病気の人たちを診てきましたが、医学というものには限界があるんだなと何度も感じた場面がありました。

当時は最も優秀な人間が、万能だと思って神学を学んだわけです。神学者であったルターが、神学について壁を感じて語った言葉の真意が少しわかるような気がしましたよ。

このお城から出るときの景色がとてもきれいでした。

ごらんください。

 

 

 


今日の僕 20091110

出張から持って帰ってきた資料の整理も、だいぶ片付いてきました。

 


1813年生まれの天才

11月2日からイタリアに来ています。

成田から直行便でまずミラノに入り、その後電車でフィレンツェに移動。「Laser Florence 2009」で口演の発表をさせて頂いた後、再び電車に乗って、今はローマにいます。

ミラノでは、スカラ座でバレエ「ジゼル」の初日を観劇しました。こちらはチケットを取るのが大変でしたけど、それだけの価値がある舞台で感動しました。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」も見ることが出来ました。日本から予約しておいたのが良かったようです。

特急電車で入ったフィレンツェでは、メディチ家歴代の美術コレクションが収蔵されたウフィツィ美術館にも行ってきましたよ。こちらも日本から予約していきました。

海外での限られた滞在日程と時間を、120%有効活用するためにはどうしたらいいか。だんだん僕にもコツが掴めてきたようです(笑)。

そして昨日また口演終了直後電車に飛び乗り、到着したローマ。オペラ座でワーグナーのオペラ「タンホイザー」を観劇してきました。この日が最終日だったのです。

ミラノのスカラ座。ローマのオペラ座。イタリアの三大劇場のうち二つに行くことができたのは個人的には本当に嬉しかったです。

肝心の仕事の方は、フィレンツェのレーザー学会で今回僕が発表した

「アジアンスキンにおける、CO2 (10600nm) フラクショナルレーザーとエルビウム・グラス (1550nm) フラクショナルレーザー治療の比較検討」 

は、口演としてもとても興味深い内容だったようで、講演し、いくつかの質問に答え、席に帰るとき、予想外の拍手喝采と温かい言葉を贈って頂きました。日本から遠く離れた異国の地で、他の演者の方より大きな拍手を頂けるとは、研究者としても大変嬉しく光栄なことでした。

来ることができて良かったです。

ネットの環境が思っていた以上に悪く、接続できても、途中ですぐに切れてしまい、いちいち必要以上に時間をとられてしまうので、イタリアの出張記については、また帰国後改めて写真と共にアップしていきたいと思います。

しかしながら、2ヶ月連続でドイツとイタリアという地方文化(公国)が豊かな国を訪れることが出来、その素晴らしさが身に沁みてわかりました。

少しの地理的な違いでも、文化圏が異なると圧倒的な差が至るところに出てくるのです。そして、その差こそが個性であり豊かさであり、文化であり、歴史である。

全国を都市化・東京化しようとした日本政府の政策について、改めて考えさせられましたよ。

また、先月行ったドイツでは二夜連続、ベルリンとドレスデンでヴェルディとワーグナーのオペラを観劇してきましたが、イタリアに今回来て改めて感慨深いな、と思ったことがひとつ。

イタリア・オペラの巨匠であり作曲家のジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディと、ドイツ・オペラの集大成とも言えるヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーは、どちらも同じ1813年生まれなのです。

二人は同じ年だったということになります。

改めてここでヴェルディの代表作を挙げると、「ナブッコ」「エルナーニ」「マクベス」「海賊」「椿姫」「仮面舞踏会」「アイーダ」「オテロ」などなど。

ワーグナーの方は「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルグのマイスタージンガー」そして、四部作「ニーベルングの指輪」を代表作としています。

全く同じ年に生まれた、類い稀なる才能を持つ二人の音楽家。

1800年代のドイツ地方とイタリア地方は、国家として存在したイギリスやフランスと違って、まだ小国の寄せ集めでした。

現在のドイツとイタリアが国として成立するのは19世紀の中頃。

ヴェルディとワーグナーの曲が、イタリアとドイツ統一のために、そして国家威信と民族のアイデンティティを鼓舞するために、それぞれ使われたのです。

ヴェルディ最初の成功作となった「ナブッコ」が初演されたミラノ・スカラ座に今回初めて来て、その感激を噛み締めると共に、ヴェルディとワーグナーの生年が同じなんて、偶然の一致とはまさにこの事をいうのではないかと、そして、音楽が果たしうる、また果たすべき役割について、考えてしまいました。

明日、日本に帰国します。


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