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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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ゴルフ医科学研究所 ワインとバッハ+αの会

今日はワインとバッハ+αの会。

2020年から続けているチェリスト金子鈴太郎さんの生演奏とそれに合ったワインを楽しむ会でした。ワインを飲みながら目の前で生演奏を聴くことが出来るって、まさに「貴族」ですよね。笑

バッハの無伴奏チェロ組曲1番-6番も、もう4周目ですので、20回ぐらい繰り返してきたのです。

今回はレーガーの無伴奏チェロ組曲一番を組み合わせた進化版でした。アンコールのみは動画撮影ありで、楽しませて頂きました。

https://www.facebook.com/1486146253/videos/pcb.10238554799277150/734679342581548

【音楽──耳で聴くもの、肌で聴くもの】

我々が「音楽」と呼ぶもの。

それは単なる可聴音の連なりではありません。聴覚神経が感知する20Hzから20kHzの可聴領域をはるかに超え、上は超音波、下は低周波振動と、あらゆる波の統合体です。

耳に聞こえない音を、私たちの体は感じています。肌で、骨で、そして内臓で。

実際、可聴域外の音は皮膚振動覚や骨伝導によって感知されることが知られています。

音楽とは、耳で聴くものではなく、体全体で“浴びる”もの。イヤフォンよりスピーカー、スピーカーより生演奏が優れているのは当たり前です。

それこそが、私たちがオーケストラホールで感じるあの深い感動の正体なのかもしれません。


休診日ゴルフ──塞翁が馬の一日

【休診日ゴルフ──塞翁が馬の一日】

休診日の今日は、気心知れた友人たちとのゴルフコンペ。舞台は富士クラシック。

15番ホールまでは、我ながら良い内容でした。しかし16番ホール。二打目を無情にも池へ。そこから集中力が切れ、トリプルボギー、ダブルボギー、さらにダブルボギー。結局、最後の三ホールで7打も余計に叩いてしまい、スコアカードを見つめながら深く落ち込みました。

けれど人生とは不思議なものです。

その全てが、シンペの隠しホールに見事ハマり、まさかの優勝。

人間万事塞翁が馬。

今日は追い風参考記録ながら、304ヤードのドライブも飛び出し、結果としては最高の思い出となりました。


叩きすぎた石橋の向こう側

叩きすぎた石橋の向こう側

我々はいつからだろうか。

橋を叩くことが「美徳」だと教え込まれてきたのは。

慎重であれ。
失敗するな。
恥をかくな。

幼い頃から耳にたこができるほど言われてきた言葉だ。

けれど、叩きすぎた橋はいつしか渡れなくなる。

手のひらで叩き続けた石は欠け、亀裂が入り、やがて崩れ落ちる。

本来、橋は渡るためにあるのに。

叩くことが目的化した瞬間、人は挑戦することを忘れる。

人生には、どうしても叩いている時間すら許されない場面がある。

火事場で逃げるとき、突風で崖が崩れかけたとき、追いかけてくる運命から逃れるとき。

橋があるなら、渡るしかない。

叩いて確かめることよりも、渡った先に見える景色こそが人生を変える。

たとえ橋が壊れたとしても、その向こうに何があるかを知っている者と知らない者とでは、その後の生き方がまるで違う。

叩くのをやめたとき、人は橋を渡れる。

渡ったとき、人はようやく自分の足で立てる。

そして気づくのだ。

壊れるかどうかは問題ではない。

渡りたいかどうか、それが全てだったのだと。

だからなのだ。

子供もまた、小さい頃から「叩き方」ばかりを教え込まれてはいけない。

「落ちると危ないから、叩いてから渡りなさい」
「周りと違うことをすると恥ずかしいから、ちゃんと確かめなさい」

その言葉に愛がないわけではない。

けれど、叩くことだけを教えられた子供は、いつか橋を渡ることを忘れてしまう。

挑戦するより、正解を探すことを選ぶ。
走り出すより、転ばない方法を探す。
夢を見るより、失敗しない道を選ぶ。

そして気づけば、叩き続けるだけの人生になってしまう。

本当は子供こそ、橋を叩かずに駆けて渡れる存在なのに。

怖いものなどなく、転んでも笑って立ち上がれる存在なのに。

叱るよりも、守るよりも、
その小さな背中を押してやること。

「行っておいで」

その一言こそが、未来を渡る力になる。

叩くことを覚えるのは、大人になってからでいい。

子供にはまず、渡りきる勇気を与えたい。

橋を叩く人生ではなく、橋を渡る人生を。

そして渡ったその先にこそ、私たちの本当の物語が始まる。


伊勢谷武氏の最新作『ヒミコの暗号』

伊勢谷武さんの新作『ヒミコの暗号』を読んで
「人類は歩いてきた──いや、漕いできたのだ。」
ページをめくるごとに、そんな言葉が脳裏をよぎった。

6月30日に発売された伊勢谷武氏の最新作『ヒミコの暗号』は、著者が『アマテラスの暗号』『銃弾の真実』で築き上げた歴史と科学を横断する知的興奮の系譜を受け継ぎつつ、新たに「欠史八代」──第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8代天皇と卑弥呼との繋がりという難題に挑む。

本書が描くのは、文字史料の乏しさゆえ「存在しなかった」とすら言われる欠史八代の時代背景を、縄文文化、火山噴火、そしてDNA解析から再構築する試みである。

特に印象的だったのは、我々ホモ・サピエンスの移動史に関する記述だ。

かつて人類はアフリカを出てユーラシア大陸を歩き、シベリアからベーリング地峡を越えてアメリカ大陸に至ったと教わった。だが近年の考古学は異なる仮説を示唆している。

人類は、海を渡ってきた。

南インドから東南アジアを経て、舟でインドネシア群島を越え、5万年前にはオーストラリア大陸に到達していた。

この研究なしには、本書の壮大な叙事詩は成立しないだろう。

日本列島への渡来経路もまた、海の物語だ。黒潮という太平洋西岸の高速道路を、フィリピンから台湾、琉球列島を経て九州へと舟で辿る。単なる想像ではなく、黒潮流域遺跡群がこれを裏付ける。人類は舟を操り、海を渡り、陽の昇る東の水平線を目指してきた。

本書ではさらに、縄文時代に日本で起こった二度の破局噴火──3.9万年前の姶良カルデラ噴火と、7300年前の鬼界カルデラ噴火が、文化を破壊しつつも再編成し、新たな文明の萌芽を育む様子が描かれる。

『ヒミコの暗号』は、古代史を越えて、太陽と風と水の記憶に刻まれ、あなた自身の中にある「海を渡るDNA」の記憶。

すなわち日本人の根源的な旅の物語でもある。多くの学者が指摘する様に、日本の文化は中国由来のものでは無く、日本独自のものなのだ。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program)、すなわち大東亜戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部が日本占領政策の一環として短期行ったといわれる日本国民に対する再教育計画の影響で、戦後80年が経過しても正しい歴史を教える事ができない日本。

啓発本として、全ての日本人に読んでもらいたいと思う。


太平洋クラブ御殿場と愛車W124の500E

昨日は仲の良い友人達と太平洋クラブ御殿場へ。

途中雷雨で中断があったのですが、雲が上がると富士山がくっきり。

やっぱり気持ち上がりますよね。

僕は久しぶりに愛車のW124の500Eに火を入れました。

行きに2度ばかり信号待ちの低回転の時にエンジンが止まりそうになり、焦りましたが、帰りは素晴らしい走りに。

30年近く経ってますが、さすがポルシェの設計です。

暫く乗っていなかったのでエンジンがかぶっていたんですかね。


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