今日はフランスの友人と英語でサシ飲み。
お互いセカンドラングェッジだけれど、ユーモアは万国共通ですね。
笑いました。
彼はこちらのシャンパーニュのオーナーの家系です。
年間3000本しか作らない、飛行機に乗せると味が落ちるので、日本に輸出したくない。
のだそうです。
来月パリ出張ですが、シャンパーニュ行きたいなあ。
今日はフランスの友人と英語でサシ飲み。
お互いセカンドラングェッジだけれど、ユーモアは万国共通ですね。
笑いました。
彼はこちらのシャンパーニュのオーナーの家系です。
年間3000本しか作らない、飛行機に乗せると味が落ちるので、日本に輸出したくない。
のだそうです。
来月パリ出張ですが、シャンパーニュ行きたいなあ。
今日はクリニックFの外来です。
来月頭にインドネシアはバリ島にて開催される欧州系アンチエイジング医療学会のIMCAS ASIA。
僕は学会のFaculty Memberに入れていただいているので、セッションの座長や招待講演、講義の仕事がいくつかあります。
僕のスケジュールが送られてきたのですが、事前に伝えていたものや、幾つか時間的に重なっていて、出られないものもあり(苦笑)、これから事務方と再調整ですね。
プレゼンも作り始めないとなあ。
仕事として選んだ医学と、人生最大の趣味であるクラシック音楽や舞台芸術。
この二者は理性と感性という、いわば僕の判断基準の両輪とも言えるもので、「医学と音楽のコラボレーション」をいつか実現したいと以前より思ってきました。
本年「藤本ミュージックアカデミー」を設立し、その足がかりがいよいよできつつあります。
これについてのご報告は新たに今月末行いたいと思っています。
昨晩は今月2度目のラフマニノフピアノ協奏曲第2番ハ長調を聴きに行きました。
ご縁あって関係者席をお取りいただきました。
指揮者がよく見える、舞台裏側のP席です。
東京フィルハーモニー管弦楽団、ピアノのソリストは昨年開催された第16回グリーグ国際ピアノコンサートで第一位を取ったばかりの高木竜馬さん。
僕の好きな漫画「ピアノの森」のアニメ版で雨宮修平役のピアノ演奏でも著名ですよね。
先週は辻井伸行さん、さらに今週は高木竜馬さんと、今第一線の若手の二人の日本を代表するピアニストが、同じ6月にサントリーホールと東京オペラシティというまさに東京の2大ホールでこの曲を弾くというのも、何かの巡り合わせですかね。
***
今回の一柳富美子さんの解説には、社会主義国ソ連が自由主義国ロシアに転換して27年が経ち、体制激変の影響はこの10年で音楽業界にも及んでおり、それまでのロシア音楽の解釈はほぼ書き換えられる必要があると書かれていました。
確かに音大出身ではない僕にとって、曲や作曲家の知識は、LPレコードレーベルや、映画、日本語の著作に書かれた事ばかりでした。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、といえば
曲が生み出された経緯については、1897年の交響曲第1番初演失敗により、うつ病にかかったラフマニノフが催眠療法のダーリ博士の治療によりスランプを脱し、立ち直って書かれたものというのが通説でした。
その話により僕も、ラフマニノフがいわゆる内気でナイーブな27歳の若者であった頃に作られた楽曲なのだ、というイメージを常々持ってこの曲を聴いてきたのです。
ですが近年の研究では、こんな風に云われているそうです。
「幼い頃から叩かれ慣れていたラフマニノフは、この失敗からもすぐに立ち直った。さらにこの作曲の時期は、新進気鋭のオペラ指揮者として八面六臂の活躍をしていて、決して病的な若者ではなかった事がわかった。
実際にダーリ博士の催眠療法は数回しか受けておらず、効果もほとんどなかったが、彼の律儀な性格により、この曲の被献呈者とされた。」
と。
うーん。
いわば常識と信じてきたことが覆されますが、これも音楽を学ぶ面白みの一つですよね。
3年ぶりに日本で公演されている帝劇「エリザベート」を取引先の企業にご招待いただき、観てきました。
ミュージカル「エリザベート」ですが、今までウィーン版、宝塚版、そして2回の帝劇版と観てきましたので、今回僕は4度目の観劇でした。
本当に素晴らしいですね。
心から楽しめました。
「ブロードウェイ・ミュージカルとは違う世界観の作品を作りたい」とアメリカで作曲家として活躍していたハンガリー人のシルヴェスター・リーヴァイと、ミュージカルの翻訳や小説家として活躍していたドイツ人ミヒャエル・クンツェが共同で制作したもの。
物語は、オーストリア=ハンガリー帝国の皇后エリーザベトの生涯と死を描いたミュージカルですが、同時に中世から20世紀初頭まで欧州王朝を血族によって支配したハプスブルグ家の終焉を、トートという死神役を絡めることによって、時代背景とともに描き出しているのです。
エリザベートの息子ルドルフとの別れや、美へのこだわり、慰問の旅など、現在でも共感しやすいストーリー。
さらに、一度耳にしたら忘れられない美しいメロディ・・・と、このミュージカルが繰り返し上演され、愛されてきたのがよくわかります。
ちなみに1992年にこのミュージカルが初演されたのは、アン・デア・ウィーン劇場。
僕も何度か訪れたことがあるのですが、モーツァルトのオペラ『魔笛』の台本で成功したエマヌエル・シカネーダーが1801年に落成させた由緒ある劇場なのです。
この劇場は当時ウィーンに住んでいた、ベートーヴェンが、交響曲第3番「英雄」、交響曲第5番「運命」、そして交響曲第6番「田園」を初演したことで知られているのですよ。
歴史の重みを感じますね。
土曜日にNHKの音楽番組から取材を受けました。
エビデンスも含めてうまく話せたと思いますが、番組に生かされると良いなあ。